母方の祖父が市営球場の近くで「ホームラン食堂」を開店してそこで焼き始めたのが最初で、昭和33年創業です。「ヒット焼」という名前は、「ホームランよりもヒットの方が数が多く出るから」ということで付けたそうです。祖父が食堂をやめた後、しばらくして伯母が「けやき屋」という店を始めて、母も手伝ってまたヒット焼を出し始めました。けやき屋には、この店ができる前に弟も2年ほど修業という形で行っていて、この川東店は、弟が独立するという感じで昨年3月にオープンしました。オーナーは父です。けやき屋は、今は伯母と従兄弟が2人でしています。
| 〜宏祐さんは、いつからお店のことを始めたのですか? |
この店ができる時からなので、まだ始めて2年もたたないですね。学校が東京だったので、そのまま東京で働いていました。この店を家族で始めることになって、元々ずっと東京に住むつもりはなかったので、それがきっかけとなって新居浜に帰ってきました。焼き方などは、ここで実際にしながら覚えました。
良い所は、言いたいことを言い合えることですかね。でも逆にそれが悪かったりします(笑)。
見た目はどら焼、中身は大判焼という感じです。あんの素材は、祖父がいろいろと試して一番理想に近かった北海道産の中納言というちょっと小ぶりな小豆で、白あんの方は大手亡(おおてぼ)という白い豆を、ずっと変わらず使っています。
その日によりますが、冬場だと1500個くらい、夏場は400個弱くらいですね。隣の市からもよく買いにきてくれています。たくさん買っていろいろな人に配ってくださる方もいるみたいです。
| 〜インターネット販売を始めたのには、どういう思いがありましたか。 |
祖父が考案して作ってくれたヒット焼を、今は僕たちや伯母たちが家業にしています。年月がたって僕らもインターネットを扱えるような時代になったので、昔からずっと地元の皆さんに親しんでもらってきたヒット焼を、僕らの時代で全国の人に伝えて広めていきたいなというのが一番ですね。
ネット販売なら楽天だと思ったので、そこから出そうと皆に相談したら、「やってみたらいいんじゃないか」ということで。僕もそれほどパソコンはできる方じゃなかったので不安はありましたけど、大阪での楽天の講習会に参加して、画像の撮り方やインターネットビジネスの流れやホームページの作り方なども勉強して、自分でお店のページを作りました。
今はオープンして5ヶ月くらいですが、広告やプレゼント企画をしないとなかなか露出してこないんですよね。出店しているだけでは、誰も知らない小道にポツンとお店があるようなものなので。人目に付くものになるように、いろいろと企画していこうと思っています。
今、同じ新居浜でインターネットに出店している人からお誘いいただいて、勉強会に参加しています。メンバーの共同企画ということで新居浜太鼓祭りを全国に紹介するサイト(http://www.arari.info/otokomae/)を開設して、10月5日から祭りが終わるまでの間、それぞれの店でプレゼント企画やセールをしています。
サッカーですね。中学、高校とサッカーをしていて、東京にいる時にはフットサルチームを作ったんですよ。今もそのチームは活動してくれています。新居浜に帰ってからも3つのクラブチームに所属して週2回ほど練習をしています。中学校の時は、福西さん(福西崇史選手)が2つ上の先輩で、川崎フロンターレでキャプテンをしている伊藤宏樹君は同級生でした。今でも宏樹君とは連絡を取ったりしています。あの時は先生も厳しかったけど強いチームだったですからね。
祖父が使ってきたのと同じ素材で、製法も変えずに味を守ってきていますので、いつまでも「ここに来たら変わらない味があるね」と、懐かしさを感じてもらえればと思っています。
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