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ある書類を探していたのですがなかなか見付からず、あちらこちらを調べておりました。それがなければ先に進まないことがあり、期限も差し迫っているものですから、真剣に訊ねておりました。私は、その書類を直接見た訳ではなく、このような形式のものであろうと想像をして探していたのです。
もう猶予がない段階になって、第三者が見付けてくれました。出てきた書類は、私が想像していたものとは違っていました。関連書類を収めてあるファイルの中から出てきたのですが、そのファイルも私は何度も見ていたのです。見付かってほっとするとともに、非常に感謝の気持ちになりました。また同時に、大切な物を大切な物として扱っているだろうかと、反省をすることにもなりました。
10月下旬に故郷の祖谷に出掛けて、子どもたちと一緒に稲の脱穀を行いました。昨年よりNPOの事業の一環として、実家の棚田で子どもたちや会員さんらに稲作りの体験をしてもらっています。6月上旬に田植えを行い、9月下旬には稲刈りを済ませていました。出掛けるたびに実家の庭に立って眼下を見下ろし、また向かいの山々を眺めては、この景色も辺りの雰囲気も、何十年経っても少しも変わらないなと感じています。
その際に思い出されるのが、石川啄木の『故郷の山に向ひて言ふことなし
故郷の山は有り難きかな』の詩なのです。どのような時にも、故郷の山々はいつも温かく、私を受け入れてくれているのだという気持ちになるのです。若い頃には、まだまだそのような心境に至ることは少なく、十分には理解できなかった言葉です。
父がいて、母がいて、集落に残る人たちがいてくれるお陰様で、このように私たちは故郷に帰ることができます。そして稲作体験を子どもたちにさせてあげられるのです。故郷の山里を堅持してもらってきたことに感謝の気持ちが湧いて参ります。一生懸命に頑張って下さる人たちがいるから、今もなお私の心の中に、しっかりと『故郷』を保つことができているのだと思います。
ここ数日、何人かの人が続けて亡くなったせいか、私が没したであろう後の夢を見ました。おそらく私の頭の中に、抜穂祭とか新嘗祭のイメージがあったのだと思います。夢の中で、顔ははっきりしないのですが小さな子どもたちが、田植えやら稲刈りやらをしていました。
作業をしながら、子どもたちが口々に何かを言っているのです。「米作りだけはずっとしていこうね」と言う子どももいれば、「しんどいからもう止めようよ」と言う子どももいます。「止めるなんてとんでもない。これは代々続いている神事なんだ」と言う子どももいれば、「お米なら、お店で買っても食べられるよ」と言っている子どももいます。そのような中で、「僕たちの米作りは、僕たちが食べるとか食べないとかが問題じゃあないんだ。今年もお米を作って、先生にお届けをしなければ…」と言っている子どもがいました。どうやら祖谷での米作りが、いつの間にか、まるで神事であるかのように年中行事になっているようでした。
可笑しく感じられるのは、最初は子どもたちのしている様子を天国から見ていたはずなのに、お米を『届ける』という言葉が出た時点では、私はこの世に存在している設定になっているのです。この辺りが夢の面白い所です。それでも何か妙にリアルな夢でありました。この夢は、食べ物に感謝する行事として、私の故郷での米作りを存続してもらいたいと願う心の表れであったのでしょう。
山里での米作りの体験は、食育となるばかりでなく、1つの行事を通して、その人にとっての『故郷』を作り上げていくことにもなります。生まれ育った故郷があり、心の中に存在する故郷があります。帰るべき故郷を大切にしなければと思います。
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