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【地域の情報】最新号
OneDayトリップ小松町の旅
西条市小松町の見どころ紹介
(2005年1月号掲載)
 今回は、西条市小松町を訪ねるOne Day トリップです。旧小松町は、昨年の11月1日に合併して西条市となりました。小松町は石鎚山のふもとに位置し、伊予小松藩1万石の陣屋の跡が残る歴史と文化のまちです。

 国道11号線JR伊予小松駅南の交差点を南進し、ほんの数百メートルも行くと、左手に築地塀と立派な門が見えてきます。ここが儒学者として小松藩内の子弟の教育に尽力し、『伊予聖人』と呼ばれている近藤篤山(とくざん)の旧邸です。この邸は、愛媛県指定文化財となっています。門が閉まっているので少し入りにくい感じはしますが、呼び鈴を押すと係りの人がすぐに応対をしてくれて、見学者門を開けてくれます。手入れの行き届いた通路を案内してもらって、邸内の見学へと向かいました。
南に面した書斎=篤山の像が座っている
 近藤篤山旧邸は、平成6年に近藤家の当主より小松町に寄付され、数年の歳月をかけて改修工事が行われて、平成11年より一般公開されています。200年前の屋敷の様子がよく伝ってくる建物です。邸内の掛け軸や書物類、展示しているものなどはすべてレプリカで、実物はすぐ近くにある温芳(おんぽう)図書館で保管されています。

 篤山先生の像が座っている書斎は南と西に面しており、「南向きで勉強をすると頭が良くなるということで、この書斎は南向きになっています」と係りの人が説明をしてくれました。座敷では今でも、近藤篤山研究家を講師として、勉強会が開かれています。

今も勉強の場として使われている座敷
 畳敷きの部屋がいくつも続く邸内は広く、障子を開け放てば廊下の向こうに庭が広がります。明るい陽射しが差し込む書斎や座敷から、篤山先生も四季折々の草木を愛でたのでしょう。庭の南東に『篤山椿』と呼ばれる大きな藪椿がありました。訪問した時にはまだ咲いてはいませんでしたが、真っ白なきれいな花をたくさん付けるそうです。

 近藤篤山旧邸では、篤山先生の生い立ちや業績や人物像、教育精神を映像で紹介しています。また、旧小松町と小松の文化についても総合的に紹介するコーナーもあります。広い駐車場には、お手洗いも完備されています。小松町を訪れたなら、見落としてはならないスポットです。

 篤山旧邸の前の道をそのまま南進すると、小松藩の藩校『養正館』の跡があります。1万石という小藩の小松藩ですが、この藩校は儒学の祖・孔子の廟(聖堂)も備えた立派なものであったようです。当時の様子は、温芳図書館の模型で知ることができます。篤山先生は養正館の先生となり、長男・南海(なんかい)、二男・簀山(きざん)ともに教授役を務め、多くの有能な人材を輩出したということです。
 養正館跡から温芳図書館へ向かう道に、1858年に小松藩士の妻が、近藤篤山の教えを教育理念として愛媛で初めて婦女子のための寺子屋を開いた地があります。その精神は小松町立実用女学校(明治40年創立)に受け継がれ、現在の愛媛県立小松高等学校へと引き継がれています。

白い壁と松の緑が美しい『温芳図書館』
 白い壁と大きな瓦屋根が美しい温芳図書館は、鉄筋コンクリート造りながら、昔の土蔵造りを彷彿させる建物です。図書館は学問や歴史の芳しさを温(たず)ねる場所であることから、『温芳』と名付けられたと名前の由来を聞きました。1階が図書館、2階は郷土資料展示室となっています。  

 郷土資料展示室では、小松藩主・一柳(ひとつやなぎ)家ゆかりのものが多数展示されている他、小松藩や近藤篤山に関する文書、資料、工芸品などが展示されています。藩士によって150年にわたって書き継がれてきた『小松藩会所日記』も展示されています。2001年には、この膨大な古文書を解読して江戸時代の小藩の暮らしぶりを描いた『伊予小松藩会所日記』(増川宏一著)が話題となりました。

橋を渡ると仏心寺
 小松藩主・一柳家代々の菩提寺である臨済宗妙心寺派・仏心寺は、図書館から東へ徒歩で約5分ほどの距離の所にあります。二代藩主・一柳直治により、初代藩主の7回忌にあたる1650年に建立されました。仏心寺へ続く道の電柱に、『旧藩』の地名が記されていました。歴史のある町の名残を示すものとして、興味深く眺めました。仏心寺は小さな橋を渡った向こうにあって、アニメ『一休さん』に描かれている安国寺(臨済宗)が連想されました。
電信柱に藩制時代の跡を見る

 明治以降には、陣屋内にあった桜門や御霊屋門(みたまやもん)など、小松藩ゆかりの建物が移築されています。また、つばきの寺としても有名です。歴代藩主は、寺の南手にある仏心寺山に眠っています。

 小松町あたりは古くから人の住む開けた土地柄であったらしく、方々に古墳や住居跡などがあります。その内の一
麦畑の中の第5号古墳
つ『石根(いわね)古墳群』を見学しました。石根古墳群は、中山川右岸の平坦な土地にあります。かつては50基ほどの古墳があったようですが、現在では第1号古墳から第5号古墳までの5基が残っています。古墳は、一面麦畑の中に点在しています。一番大きいのは第5号古墳。上を覆っていた土はもうすでにありませんが、大きな石を積み上げて造られた石室は、十分に古代の雰囲気を醸し出していました。古墳の跡をたどる道は、石鎚から吹き下ろす風が心地良く感じられる散策となりました。

WHAT’S?『近藤篤山』

『伊予聖人』と呼ばれる近藤篤山。近藤篤山とは、どのような人物だったのでしょう。近藤篤山旧邸で公開されている番組をもとに、篤山の生涯をまとめてみました。
 近藤篤山は、1766年に土居町小林の裕福な農家の長男として生まれました。ところが日照りが数年もの間続いて作物が育たず、父親はやむなく田畑を手放して別子銅山に移り住み山役人となります。心正しく教養ある父のもとで学問や行いについて教えを受けてきた篤山は、山間の地においても日々勉学に励んでいました。

 篤山の勉強への意欲を知る父親は、十分な学問をさせたいと願います。篤山23歳の時、大阪の朱子学の大家・尾藤二州の塾への入門が許されます。両親はなけなしのお金をはたいて、篤山を大阪へと送り出したのでした。

 尾藤二州が江戸の昌平黌(しょうへいこう)に移った後、篤山も師に請われて昌平黌で学ぶようになりました。篤山は学問の深さと立派な人柄を認められて、二州から昌平黌の先生にとまで思われるようになります。自分の学問は出世したり有名になったりするためのものではないと考えていた篤山は、1979年に江戸での勉学を終えて郷里に帰り、翌年、川之江で私塾を開きました。

 若い多くの門人が通う篤山の塾の噂は、小松藩主・一柳頼親公の耳にまで届くところとなりました。小松藩は篤山を藩の先生として迎えようとします。篤山は断り続けましたが、山役人の仕事を勤め上げて小松藩の領内で余生を送る父のことを思い、小松藩に仕えることを決意しました。

 篤山は、1803年に藩校・養正館の先生となりました。武士ばかりでなく、村役人や庄屋、神主、僧侶にまでその教えを広め、学問繁栄の基礎を築きます。また篤山は藩校とは別に、私塾『緑竹舎』を開き、領内の農民や商人にも教育の機会を与え、そしてその教えは女子にも及びました。このようにして篤山は、生涯を学問と教育に尽くしたのでした。

 誠実で優しい篤山は、貧しさを恥じる門人に対して「学問を志すものは、粗末な着物や粗末な食事を恥ずかしがってはならぬ」と叱ったということです。1846年、81歳で亡くなるまで篤山は、両親の墓参りを欠かすことがなかったそうです。
【『 近藤篤山の生涯』展開催のお知らせ】
  近藤篤山の書や手紙が展示されます。
◆とき:2月1日(火)〜2月27日(日)(休館日=7日、12日、14日、21日)
◆ところ:暁雨館(四国中央市土居町・土居総合支所東側)
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