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→【地域の情報】最新号 |
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| 今年から来年にかけて『日本におけるドイツ年』が開催され、全国各地でドイツに関する幅広い分野の行事が行われています。今回はドイツ年にちなんで、鳴門市ドイツ館(徳島県鳴門市大麻町)に行って来ました。 ドイツ館は平成5年に鳴門市によって建設されたもので、第1次大戦時にドイツ兵俘虜が収容されていた『板東俘虜収容所』の置かれていた地のすぐ近くにあります。ドイツとの文化交流と友好をはかることを目的とし、観光都市・鳴門を形成する建築物の1つとなっています。また、俘虜のドイツ兵と地域の人たちとの交流を知る場となっています。
徳島自動車道藍住インターを下りて、藍住町役場前の道(県道41号線)を北進すること10qあまり。道路左手の小高い丘に、美しいヨーロッパ風の建築物が見えてきました。中央に塔のある左右対称の白亜の館です。鳴門市と姉妹都市であるドイツ・ニーダーザクセン州リューネブルク市の庁舎を模してデザインされた建物だと後で聞きました。広い駐車場の一部は工事中で、道の駅『第九の里』(平成18年度開設予定)が建設されていました。 駐車場から階段を上がると、そこはレンガ敷きの広場になっていて、回りの丘陵の緑とよく調和しています。半円形に張り出した玄関を入って、案内所に行きました。水兵服姿の係の人が出迎えてくれて、館内を案内してくれることになりました。まずはらせん階段を上がって、2階の見学からです。 2階では、『板東俘虜収容所』が紹介されています。この収容所では、俘虜となったドイツ兵約5000人の内、松山
当時を模した収容所の門をくぐって中に入ると、中央に同収容所のジオラマがありました。兵舎の大きさからすると、かなり広大な敷地であったことが想像されます。数多くの兵舎とともに、ここにはボーリング場や商店街、製パン所や図書館、印刷所、音楽堂などもあったそうです。 同館では、物を展示してパネルで説明するだけでなく、様々な手法で、どのような収容所であったのか、どのように暮らしていたのかを紹介しています。1/3サイズに作られた兵舎の中では、ミニチュア模型がまるで動き出すかのようにいきいきと日常生活の様子を描き出しています。またマジックビジョンでは、暮らしの一コマを切り取ってユーモラスに表現
また展示のナレーションが、俘虜の視点からなされているのも興味深いところです。松江豊寿(とよひさ)所長の紹介コーナーでは、人柄がよく伝わるエピソードを交え、いかに所長が俘虜を人間として信頼し理解して収容所の運営に当たっていたかを述べています。松江所長や語学に堪能であった高木副官らの俘虜のプライドと自主性を尊重する管理体制は、俘虜の自由で活発な様々な所内活動をうながしました。 ▼第九のふるさと
展示場奥の第九シアターでは、当時の演奏風景が再現されています。セーラー服など当時の衣装を着込んだ実物大人形による演奏が、午前10時から午後4時30分まで30分ごとに約15分間行われていて、私たちもベンチに腰掛けて、ナレーションや演奏に耳を傾けることにしました。スクリーンに投影される当時の写真も珍しく、短い時間ではありますが演奏も楽しむことができました。
1階のミュージアムショップでは、ワインやビール、バターをはじめ、お菓子やマスコット類など、ドイツにちなんだ物産が販売されています。また、休憩コーナーにはニーダーザクセン州の紹介コーナーもあります。 ドイツ館では、受付で案内を申し出た人には、説明ガイドが付いて館内を案内してもらえます。団体の場合は事前に申し込みが必要ですが、個人の場合は受付時でOKです。ぜひとも、ガイドをして頂きながら見学をすることをお薦めします。ドイツ館のスタッフの人たちが着ている水兵服は、初演時を再現し『蘇る第九』のコンサートを行った時に、演奏者用にあつらえた物が使われているとのことでした。
ドイツ館のすぐ近くに、ドイツ兵が地元の人たちのためにボランティアで造った橋が残っているというので、見に行くことにしました。車で数分の所に大麻比古神社があり、社殿裏の庭池に小さなメガネ橋がかかっていました。また散策路の小川には、ドイツ橋と名付けられたアーチ形の橋が架かっていました。 ▼交流のシンボル 収容所の跡地は現在「ドイツ村公園」になっています。公園の奥に2つの慰霊碑が立っていると聞いていたので、見学とお参りに行ってきました。古くて小さい方は、1919年に俘虜の人たちが祖国に帰る前に、異国の地で病気などで亡くなった11人をまつるために造ったものですが、草に埋もれて、人目に付かなくなってい
その後、元俘虜・ライポルト氏からの板東がどのように変わったのか教えて欲しいとの手紙に対して、板東の近況を伝える8ミリフィルムがドイツに届けられたことから、地域の人たちとドイツの元俘虜らの交流が40年ぶりに復活しました。ドイツ各地からたくさんの遺品や寄付が寄せられたそうです。それが、ドイツ館に数多く展示されていたという訳です。 大きな新しい慰霊碑は、全国の収容所で亡くなった87名の合同慰霊碑で、1976年に建てられました。 |
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| 『バルトの楽園(がくえん)』のオープンセットを見てきました!! | ||||||||||||||
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