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2006年7月号掲載
生活に根ざした防災 新居浜市立川町 自治会 |
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自治会長 村上義幸さん |
愛媛県新居浜市の南部に位置する立川町は、2級河川・国領川上流の足谷川沿いに開けた山間部の集落です。立川町が自主防災組織を立ち上げたのは平成9年で、新居浜市内で最も早く着手した自治会の内の1つです。立川町では平成16年9月の台風21号による豪雨で地すべりが発生。5軒の家が土石流に巻き込まれましたが、いち早く避難が行われていたために、人的被害は出さずに済みました。その貴重な経験を踏まえた上で、平成17年度より自主防災組織の在り方について見直しに取り組んでいるところです。自治会長であり、自主防災組織委員長の村上義幸さんに、同町の取り組みについてお話をして頂きました。 |

立川町自治会館 |
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自治会館横を流れる足谷川。
時には県道の高さまで水位が上がる。 |
町内を流れる足谷川の渓谷は『別子ライン』と呼ばれ、春には桜、秋には紅葉が川の流れと相まって、美しい景観を成しています。風光明媚なこの川も、一度牙をむくと、風景が一変します。立川町には、1世紀以上も前の洪水の話が親から子へ、子から孫へと伝わっています。明治32年に、100名を超す死者と多数の家屋が流出する大災害に見舞われたそうです。ランプの明かりが灯ったままの家が川に流されていく光景が、代々語り継がれているとのことでした。それでこの地区の住民には、大水は怖いという意識が小さな時期から植え付けられているとのことでした。
「雨量、川の水量、ダムの放流量を意識し、水位がどのくらいになれば危険であるかを判っている。山崩れの予知にしても、わき水の点検場所を言い伝えで心得ている。地区住民自身が危険を察知して、避難の呼びかけに応えてくれるのが立川の特長ではないかと思いますね・防災意識というよりも、生活の中に根ざしたものでしょう」。
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上は平成16年に発生した地すべりの様子
(写真提供:同自治会)。
住民は避難しており人的被害はありませんでした。下は現在の同じ場所。 |
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立川町では、昭和51年の台風17号で地すべりが発生し、31世帯71人が1年間もの避難生活を経験しました。他にも、川の氾濫によって地区内を縦貫する県道や市道が冠水し孤立化したり、柱が削られるほどの勢いで水が流れ込んで家屋が流失する恐れが出るなど、台風や豪雨に見舞われる度に怖い経験をしてきました。それで立川地区では防災についての意識が非常に高く、防災組織ができる以前から、危険を感じれば独自に親戚などに避難をしていたという経緯があります。
現在の立川町は世帯数が104で人口が220名余り。人口の減少と共に高齢化が進んでいます。自主防災組織の見直しは平成9年の設立時のものを基にしていますが、より実態に合ったものにしていくために、実質的に活動ができる人材の確保をしようと、同組織設置会則の改正を行いました。防災委員の内、従来は自治会地区委員が地区班長になっていましたが、中には活動ができない人もいるために、町内から幅広く適任者を選任できるようにしました。自治会副会長と消防分団部長が組織副委員長を務め、各地区から責任者や班長が出ています。
「行政と話ができる人、住民と話ができる人、細かな人のお世話ができる人等々、委員にはいろいろな役割があります。災害時に現場の状況を随時伝えてもらうのは地区責任者で、責任者に伝えるのが班長です。班長さんからの報告がしっかりと届けば、消防団に動いてもらうとか、市に応援を求めるとか、次の動きにつながります」。
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立川町本村地区(写真提供:同自治会)。
山肌にそって家が立っている |
防災委員会は年間4回行われ、年度初めの委員会で年間の防災計画が立てられます。活動は、それに基づいて行われています。山肌にそって家が立つ箇所が方々にある立川町では、地すべりへの対策が欠かせません。6月には水路調査と清掃作業、8月には危険箇所の点検と整備作業が行われることになっています。
「いくら立派な書類があっても駄目なんですよ。まずは動かないといけない。一番大事なのは水路や道路側溝の掃除や点検です。水路が詰まると溢れた水が地中にしみこんで地盤が緩む。地盤が堪えきれなくなると地すべりが起こるんですよ」。
また8月には、地区住民の住居状況の名簿の見直しが行われます。これは本格的な台風シーズンを前にして毎年必ずしていることで、避難時に手助けが必要な人の把握は、たいへん重要な作業です。立川町では車が横付けできる家は少なく、大半の家庭が急な石段や狭い坂道を上り下りしなければ主要道へ出ることができません。
「独居の高齢者で、応援がないと避難ができない人が5、6名います。また子どもと一緒に生活をしている人でも、日中だと高齢者だけが家にいる場合もあります。家族の状況を把握していなければいけない訳です」。
平成16年に新居浜に接近した5回の台風の内、立川町には避難勧告が4回出ました。同町では、そのたびごとに反省会を行っています。そこで反省事項として出た点については、即改善に向けての動きをしています。
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| 平成16年に発生した地すべり現場 |
地域住民にもっと防災や自主防災組織について知ってもらう必要があったという反省から、毎月1回『自治会だより』を発行して、必ず防災に関する情報を載せることにしました。これは班ごとに回覧されています。また読まない人もいることから、『災害、防災、避難についてのアンケート』を実施することにしました。回収率は80パーセントを超え、さらに防災意識を高めることになりました。このアンケートを利用して、災害時に役立つ各家庭の工具や資材のチェックもできました。
また、雨が激しいと避難を知らせる放送がよく聞き取れないという意見に対しても、さっそく対応策を講じました。サイレンの音なら何とか聞こえるということから、今年度から避難勧告の放送時には消防サイレンが使われることになりました。火災時以外で消防サイレンの使用が認められるのは異例のことだそうです。自主避難を促す放送時とは明らかに音量の異なるサイレンが鳴ることによって、ことの重大性がより住民に伝わるようになります。
「自分の身は自分で守るという意識を持たないと。立川自治会の防災意識も、自分たちの地区は自分たちで守るという考えで、今のところは水防を主として活動をしています。平成16年の災害で人的被害がなかったのは、過去の教訓から災害に対しての認識が強く、まず逃げるという意識があったからです。避難場所や避難経路の周知徹底、要援護者の把握など、日頃から活動をしておかなければ、いつもこのように旨くいくとは限りません」。
立川町は、反省と改善をくり返して、より良い日々の活動を行い、災害時に備えています。 |
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| 【取材ルポ】 |
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| ボランティアに取組む高校生 |
7月11日、立川地区の水路や道路側溝の清掃ボランティアにやってきた愛媛県立新居浜工業高校1年の生徒さんたちの後を追って、山に入ることにしました。別子銅山の運搬道として拓かれた牛車道は、往時は牛が車を引いて行き交っていたそうです。集落に近い部分はアスファルトで舗装されて、今も生活道として使われています。
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牛舎道の山すそ側にある水路。
作業によって雑草や土が取り除かれ、水が流れ込みやすくなりました |
立川自治会館のちょうど川向こうに、牛車道への入り口がありました。スイッチバック式に急勾配を折り返しながら道が上へ上へとつながっています。途中で、平成16年に地すべりを起こした地点を通りかかりまし。今は修復されていますが、杉木立が裾広がりにざっくりと切り取られ、集落もその部分だけが欠落しています。
牛車道には山肌にそって水路があります。民家のあるあたりは水路の上はきれいですが、家が途切れると、辺りはうっそうとした森となり水路の上には雑草が生い茂って枯れ葉や土がたい積しています。生徒さんたちはそれらの除去作業に一役買って出てくれている訳なのです。
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集水井(しゅうすいせい)。
地中の水抜きパイプがここにつながっている |
牛車道から外れてさらに山を登って、水路の状況を見てみることにしました。以前は40戸余りの集落があったという地点まで、狭くかなり急な石段を上がっていきました。今は山に入る人も滅多にいないようで、落ち葉や枯れ枝がかなり積もっています。横を走る水路も同様です。ここには地すべり対策用の集水井が設置されていました。山の下には立川本村地区があり、日頃からの水路や側溝の点検や清掃は最も大事なことだとおっしゃる自治会長さんの言葉がよく解りました。 |
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【立川地区】
別子銅山の遺構がそこかしこに残り、銅山の最盛期には住む人も多く、賑わった場所でした。
同町内には現在、銅山の施設跡を利用したテーマパーク『マイントピア別子』があるほか、遺構の数々は近代化産業遺産として市の内外の人々の関心を集めています。 |
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