
2階から 北の眺め |
話をお伺いしていると、外からざわざわとかわいい声が聞こえてきました。隣の幼稚園(ひかり幼稚園=瑞應寺運営)から、園児がお寺へやって来たようです。週に1度のお仏間まいりの日とのこと。子どもらのざわめきもすぐに消え、やがて辺りはまた元通りの静けさを取り戻しました。

2階から。僧堂と大銀杏が見える |
案内の僧侶が、伽藍を見渡すことのできる2階へ案内してくれました。大正期に建てられた建物の東側と北側には、板ガラスが何枚もはめ込まれた大きな窓が連なっています。東の窓からは、園児らが回廊にそって僧堂の前に行き、次々と靴を脱いで本堂へと向かっている様子が見えました。樹齢1000年と言われる大銀杏も見えています。紅葉にはまだ早く、見頃は11月下旬だそうです。銀杏の葉が散り始めると最初の内は毎日掃きますが、落葉がピークになると積もるに任せるのだそうです。瑞應寺の銀杏の葉の絨毯は、新居浜の晩秋の風物詩となっています。北側の窓からは、新居浜の市街地や工場地帯、その向こうに広がる瀬戸内海や島々が見えていました。夜景の素晴らしさにふと夜の見回りの足を止めて、景色に目を遣ることもあるとか。

隙間なく並んだ園児の靴 |

本堂でお話を聞く園児たち |
私たちも園児たちの後を追って、本堂へと向かうことにしました。園児たちはクラスごとに靴を脱ぐ場所が決まっているらしく、玄関にも靴が並んでいました。色とりどりの小さな靴が、ていねいに揃えて脱いであります。行儀よく並ぶ靴の列は、見事としか言いようがありません。本堂の中でも行儀良く座って、お話を聞いていました。

「長泉堂」内 |
本堂の東には『長泉堂』があり、住友別子銅山での殉職者の霊が祀られていました。別子の山深い場所にある銅山殉職者の墓(蘭塔場)も瑞應寺に移されるなど、明治に入って別子銅山従業員の菩提寺の役割を果たすようになったといいます。同寺の立派な緑の大屋根は、昭和初期に別子銅山の銅で葺き替えられたのだそうです。同寺と住友との関係は深く、毎年お盆には会社幹部が参詣し、10月には殉職者の追悼法要が行われています。

僧堂。座禅の行の風景 |
専門僧堂では、その日から2泊3日で『月例参玄会(さんげんかい)』という修行に入っていました。座禅を中心に行われる修行中は、僧堂内の畳1枚分ほどの空間が、雲水の生活の場となります。寝るのも座禅を行うのも食事をするのもすべてがそこで行われます。午前の座禅の真っ最中で、ほの暗い堂内はまるで別世界のように感じられました。

配膳前の祈り。雲版の音が響く

僧堂に食事を運ぶ |
食事の準備風景や食事の様子も見学しました。玄関の祭壇の前に、雲水の手によって料理が乗せられたもろぶたや手桶が、つぎつぎと運び込まれてきます。雲水の動きは、静かでいてしかも実にきびきびとしています。何往復かの後、皆が揃ったところで祈りが捧げられ、僧堂内に食事が運び込まれていきました。
僧堂内に食事が運び込まれると、雲水らは自分の応量器(おうりょうき=雲水が僧堂で修行する時に持参する食器)を出して、食膳の用意をしていきます。応量器は五枚重ねの黒塗りの器で、そこへ係の雲水がご飯や料理をつぎ分けていきます。量の加減などの意思表示はすべて所作で行われ、言葉が発せられることはありません。食事も修行の内で、厳しい作法に則って物音1つたてることなく静かに行われていました。
境内での物事の始まりや区切りは言葉で伝えられるものはなく、音によって知らされています。建物のあちらこちらに『版(はん)』と呼ばれる鳴し物が下げられていました。玄関には青銅製と見られる『雲版』が、僧堂の奥には魚の形をした大きな『魚版』が、また四角い木版が方々にかけられています。太鼓や鐘も見られました。
同寺を訪問したのはこの秋一番の冷え込みとなった日で、山際に吹く風はことさら冷たく感じられました。約束の時間にお伺いして応接の部屋に通して頂いたのですが、室内がほど良く温められているのに気が付いて少々驚きました。来訪者への心配りを感じ、ありがたく思いました。瑞應寺の紅葉は今からが見頃です。
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