|
▼同園園長の大澤勝幸さんは、野間馬保存会の副会長も務めています。園長さんに、野間馬についてお話を伺いました。
野間馬の最大の特徴は、体高が小さいということ。平均で106pだそうです。上野動物園に行ったえりか号は97pと言いますから、本当に小さくてかわいい馬です。また毛色も1色ではなく、鹿毛(濃い茶色)、栗毛(薄い茶色)、芦毛(白)、青毛(黒)の4色であるのも大きな特色です。在来馬で多毛色なのは野間馬だけといいます。

【上】まきば館
【下】まきば館2階の展示コーナー
 |
身体は小さいけれども駄載力(物を背負い運ぶ時の力)は強く、70sもの重い物を運ぶことができます。またひづめが固いので、蹄鉄の必要がないのも特徴です。小型で粗食に耐えるので、農耕用として、あるいは山道での運搬に使われていました。資料館となっている『まきば館』2階には、みかん畑で活躍していた頃の写真が大きく引き伸ばされて展示されています。
野間馬の歴史は、江戸時代にさかのぼります。松山藩主久松公が、弟の今治城主に軍馬の放牧場を作らせたのが始まりと言われています。放牧場のあったのが、来島海峡にある『馬島』という訳です。しかしながらここでの放牧は疫病のために失敗し、それ以降は松山藩領内野間郡で、農家に飼育を委託する形で繁殖させるようになりました。
4尺(約1b20p)より大きい馬を藩が買い上げ、それ以下の馬は飼育の代償に無償で農家へ払い下げとなりました。農家が小さい馬同士の交配を繰り返したことで、現在の大きさの野間馬が形作られました。
明治以降は、小型馬の繁殖が禁止されたことや農機具の発達と車の普及によって、野間馬は減少の一途をたどります。昭和30年代には6頭にまで減っていました。昭和53年に、松山市在住の長岡氏が野間馬を今治市へ寄贈したことが、大きな転機となりました。同氏は野間馬の絶滅を危惧し、昭和34年以来、愛媛県下を巡って野間馬を探して購入し、飼育を続けていたのです。
野間馬の寄贈を受けて、野間馬保存会が発足。事務局が乃万農業協同組合(当時)におかれました。地元の畜産農家の新開氏が馬の飼育を引き受け、繁殖と育成に尽力するとともに、地域ぐるみで野間馬の保存に取り組んできました。その甲斐あって、昭和58年にはオスの子馬が誕生。昭和60年には、8番目の日本在来馬に認定されました。昭和63年には、今治市天然記念物として文化財に指定されています。
平成元年には『のまうまハイランド』を開園し、飼育環境を整備。平成8年には、飼育頭数が50頭にまで回復しました。平成9年には同園をリニューアルし、さらに充実された設備の中で、野間馬たちが暮らしています。
 |

乗馬を体験する子ども |
野間馬たちは、さらさらとした砂地のような放牧場で、のんびりと過ごしています。柵に近づくと、馬が近寄って来ました。大きくないので、近づいて来ても少しも恐くありません。首筋や頭をなでると、気持ちよさそうにしています。大きな目に長いまつげで、なかなか愛嬌のある顔をしていました。性格はいたって穏和とのこと。オスは気性の荒いところもありますが、野間馬は全般的にはおとなしい馬なのだそうです。えさを食べている所も間近で見ることができますが、馬の食事中に口元に手をやるのは厳禁。それ以外なら、馬と触れ合ってOKとのことでした。うさぎやモルモットなど小動物にも、直に触れることができます。動物とのふれあいは、同園のみどころの1つです。
第1放牧場では、セラピーが行われていました。同園では野間馬の特色を生かして、乗馬療育を行っています。障害を持った人たちが馬に乗ったり触れ合うことで、情操教育に役立ったり、身体のバランスをとる機能回復に効果があるのだそうです。乗馬体験は1周200円で、体重50s以下の制限付きでした。広場からは中学生の歓声が聞こえてきます。同園は、幼稚園や小中学校の遠足や体験学習の場としてよく利用されています。

小学生の体験学習 |
野間馬の活躍は園内にとどまらず、時には周辺の学校へ出掛けたり、イベントへの参加依頼を受けて出張乗馬に出掛けたりもしています。小さくておとなしくて可愛いので、どこでも大人気とのことでした。

のんびりと昼寝をする野間馬=第2放牧場 |
「(野間馬は)男前ではないし、ださい顔をしている。けれども癒されますよね。可愛いですよ。心が和みます」と園長さん。その言葉通り、野間馬の仕草を見ていると自然と顔がほころびました。のんきに昼寝をしている様子に、見ている方は大笑い。大きなリラックス効果です。乗馬以外は無料で、24時間オープンしている同園です。何年か前には、馬のしっぽが切られる事件もありました。「心ない人もたまにはいます。それでもこのままの状態を続けます」と園長さんは言います。何よりも馬とのふれあいを大事にしたい、との心意気を感じました。
|