お問い合わせ

2009年11月号 > 地域の情報 【過去の記事一覧】【最新記事
2009年11月号掲載

「えんとつ山」から ふるさと再見 〜新居浜市・角野地区〜
明治23年当時の山根精錬所周辺
(写真提供:別子銅山記念館)

 新居浜市角野新田町、別子銅山の山根製錬所があった生子山の頂上に、赤いレンガの煙突が立っています。明治21年(1888年)、廃棄される銅から化学物質や鉄を精製する工場として操業した山根製錬所。事業としては成り立たず、わずか6年半あまりで閉鎖されましたが、残された煙突が当時の面影を今に伝え、「えんとつ山」の愛称で市民に親しまれています。

 その121回目の誕生日にあたる11月21日から3日間、えんとつ山の周辺地域で『山根大通りストリートミュージアム』が開催されます。日本最古級の重化学工業の忘れ形見である「えんとつ山」をシンボルに、まちの歴史を次世代に語り継ごうと、地域住民を中心に様々な人の輪が広がっています。


 日本の近代化を支えた産業遺産として注目が集まっている別子銅山。今年6月には、煙突を含む5件の関連施設が新たに国の登録有形文化財となり、文化遺産としての保全や活用に向けた動きがますます加速しています。

 『山根大通りストリートミュージアム』(主催=新居浜市、同ミュージアム実行委員会)は、えんとつ山から山根大通りに通じる一帯をひとつのミュージアム(博物館)に見立てて行われるもの。別子銅山のふもとのまち・角野を舞台に、製錬所や山岳鉱山鉄道が噴煙を上げ近代化へと発展を始めた一時代の様子、また、そこに息づいた先人たちの生き様を現在に描き出そうというイベントです。期間中は、公民館や学校などの施設を利用して、地域の至る所で展示や催しなどが行われます。

 特別展「えんとつ山を見てきた先人たち」では、別子銅山発展の中心的人物をはじめ、様々な分野で活躍した郷土出身の偉人を紹介。また特別展に関連して、各施設やポイントを巡るスタンプラリー、市の別子銅山文化遺産課職員がガイドする「えんとつ山を見てきた先人巡り」も企画されています。その他にも、講演会、別子銅山文化遺産巡り、ライブ、語る会など、20を超える様々な催しが繰り広げられます(→下段にイベント案内)。


子どもたちに自信と誇りを

今回新居浜市に寄贈される「家族三輪車」

 角野地区は元々PTA活動が盛んな所。子どもたちにもなじみ深い「えんとつ山」を通して地域の理解を深め、自分のまちに自信と誇りを持ってもらえればと、数年前より住民によるまちづくり活動「えんとつ山プロジェクト」が行われてきました。今回のミュージアムも、その延長上にあるものです。
 キーワードは「子どもたちが帰ってきたくなるまちづくり」。ミュージアムでは、子ども向けに遊び心のある催しが用意されています。

 その目玉となるのが、新居浜出身のイラストレーター・真鍋博氏がデザインした夢の自転車の展示です(左写真)。この自転車は、新居浜出身の元朝日新聞記者・白鳥正夫さんが、数年前に真鍋氏の展覧会を企画した際に製作されたもの。白鳥さんがえんとつ山プロジェクトを支援する「えんとつ山倶楽部」の会長に就任したことが縁で、自転車を保有していた財団法人自転車センターにミュージアムの話を持ちかけたところ、趣旨に賛同。新居浜が持つのが相応しいと、このほど市に寄贈されることになりました。
 またさらに、同財団の全面協力によって、おもしろ自転車30台が関西サイクルスポーツセンターからやってきます。

 巨人軍のエースとして活躍し、後年は監督を務めた藤田元司氏も、えんとつ山のすそ野で育った人物として紹介。少年時代、えんとつ山をうさぎ跳びで飛び跳ねて登って足腰が鍛えられました。スポーツ少年たちの憧れや希望の星となる先輩です。
 同市の別子銅山文化遺産課・坪井課長は特別展について、「煙突のもとで、町が成長していく様子に触発されて青春の志を立てた先人たちの精神に触れてほしい」と話しています。


子どもたちも地域の伝承者に

 ミュージアム中日の22日には、別子銅山に伝わる歌を地元の角野小中学生が披露します。
 中学生が歌うのは「大ノ(おおばく)の歌」。毎年正月、その年に採れた最も良い鉱石を切り出して大山祇神社に奉納する時の歌で、鉱山がなくなった今でも年初めの営業日に奉納されています。小学生は、銅山で働く人の仕事歌として伝わる「せっとう節」を歌います。いずれも伝承者が高齢になっている中で、このミュージアムを契機に、地域の伝承文化として子どもたちが歌い継いでいくことが決定しています。

 同22日、別子銅山を10年にわたり研究・発信してきた新居浜南高校情報科学部が活動の成果を報告。同部は、今夏初開催された観光甲子園に別子銅山の観光プランを発表し、見事準グランプリを受賞しています。


新たな地域資源として
(右端から)
お話を伺った妻鳥俊彦さん、直野菅男さん、
市別子銅山文化遺産課坪井課長、横井副課長

 近代日本の礎となった産業開発と、煙害克服や植林事業によって自ら環境の復元を果たした別子銅山。その歴史的意義を地域の資源として生かそうという気運が高まってきたのは、近年に入ってからのこと。市では2007年4月に「別子銅山文化遺産課」を設置し、新居浜の発展を示す貴重な財産として、産業遺産化に本格的に乗り出しています。

 同課の横井副課長は、「小学校の時、遠足でえんとつ山のふもとまでよく行ったけども、何であんな所に煙突があるのか、聞いても誰も説明はしてくれなかった。広瀬公園も遠足の定番だったけど、広瀬宰平という人が新居浜の礎を作ったという歴史も、僕らは何も知らなかった。10年前くらいからやっと社会の副読本にも取り上げられて、市民に浸透してきたところ」と言います。

 「地元の人にとっては当たり前のものである別子銅山が、外から来た人の指摘で、特別なものなのだと分かったりする。だから、再発見に近いんです」とは、えんとつ山プロジェクトのメンバーでミュージアム仕掛人の一人である妻鳥俊彦さん。そのような市民の意識のギャップを埋めていくことが、子どもたちの自信と誇りにつながり、「帰ってきたくなる」豊かなまちづくりになると考えています。


「えんとつ山」でつながる縁

 別子銅山を語り出したら止まらないという人は多くいます。ミュージアムでは銅山関係のOBにも呼び掛け、語る会を開きます。実質の同窓会となる語る会への参加者は80歳をゆうに超える人も多く、「130周年にはおらんで」と冗談を言いながら開催を楽しみに待っています。

 他にも、一個人で煙突のライトアップを行う人、Iターンで定住しまちづくりを支援する人、若者のボランティアグループなど、多くの市民が参加。別子銅山に魅せられた人々が、「えんとつ山」というシンボルのもとに集まってきています。

 地元有志の代表として努めてきた「子どもが帰ってきたくなるまち・すみの研究会」会長の直野菅男さんは、「地域のボランティアの力でやってきた活動を市が協働事業として捉えてくれ、お陰で目鼻がついてきた。親子三世代で参加して、対話しながら理解してもらいたい」と抱負を語っています。


11/21〜23 「山根大通りストリートミュージアム」

【主な催し】
▼別子銅山登録有形文化財めぐり(21日):バスツアー。要申込み
▼えんとつ山を見てきた先人たち特別展:ノ友寮、角野公民館、角野小学校体育館ほか
▼末岡照啓氏講演会(21日):高齢者生きがい創造学園
▼スタンプラリー(21・22日):角野公民館でマップを配布
▼先人巡り(22・23日):角野公民館集合
▼夢の自転車(22・23日):角野小学校
▼煙突山ライトアップ:夕方〜21時45分
▼期間中無料開放:広瀬歴史記念館、別子銅山記念館、角野小学校郷土館
【問い合わせ先】別子銅山文化遺産課:電話=0897・65・1236

開催セレモニー、展示が行われる「ノ友寮」 広瀬歴史記念館横に立つ「広瀬宰平」像
▲ページのTOPへ

2009年11月号 > 地域の情報 【過去の記事一覧】【最新記事
管理者:rinkun1@basil.ocn.ne.jp (C)Copyright NPO法人倫理生活指導センター