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2010年5月号掲載

平城宮跡ガイドツアー 〜平城遷都1300年祭にて〜

 「何と(710)見事な平城京」と覚えた平城京の誕生から、今年でちょうど1300年。その節目を祝い、奈良県や関西の各地で『平城遷都1300年祭』が開催されています。テーマは「はじまりの奈良、めぐる感動」。日本で最初の本格的な首都である平城京に想いをはせながら、現在・過去・未来の日本を考えようという壮大なイベントで、さまざまな記念事業が行われています。

 中心会場となっている平城京内の平城宮跡には、都の中で最も重要な建物であった
「第一次大極殿(だいごくでん)」(写真)の復原が完成・公開されており、当時の様子を体感することができます。
 会期は今年1年間。平城宮跡会場では4月24日〜11月7日までの会期となっています。


 ゴールデンウィークさなかの5月3日、遷都1300年祭が行われている平城宮跡を訪れました。平城京の北端に位置する平城宮は、東西に約1・3km、南北に約1kmの規模で、現在は大部分が特別史跡として保護され、世界文化遺産にも選定されています。重要な儀式の場である大極殿をはじめ、天皇の住まいである内裏(だいり)、中央政府の各役所などが置かれ、約7000人の役人が勤めていました。また平城京には、役人の家族や貴族など10万人が暮らしていたといわれています。

ツアーセンターにて

 最寄り駅の近鉄・大和西大寺駅を下車。たいへんな人出で人の列が途切れることなく続きます。15分ほど歩いて平城宮の西入口に到着。予約しておいた「平城宮跡ガイドツアー」に参加するため、平城宮南端の朱雀門(すざくもん)の近くにある探訪ツアーセンターを目指しました。

 ガイドツアーは1・5時間と2・5時間の2コースあり、今回申込んだのは、朱雀門〜第一次大極殿を巡る1・5時間コースです。踏切を越える行列に並び、やっとのことでツアーセンターに到着。平城京と平城宮のあらましを聞き、ガイドが聞き取りやすいように貸し出してくれるイヤホン受信機を装着して出発しました。


遣唐使船復原展示

 の日の奈良の最高気温は26度。強い日差しが辺りを鮮やかに照らします。センターを出るとすぐ南に、遣唐使船の復原が平城京歴史館に隣接して展示されていました。「当時最も栄えていた中国の唐の都に渡った遣唐使船です。長さ30m、横幅10m、高さは帆の上までで22mあります。1隻に約150人が乗って、通常4隻で600人ぐらいが一度に渡っていきました。20回ほど計画されたそうですが、そのうち4回は中止になっています。何故4隻で行くかというと、行き着くかどうか分からん訳で、命がけです。大変だったと思います。唐に残って修行する人もいたり、中国の技術や仏教のお経などをたくさん仕入れてきて、日本に広めていく訳です」。ガイドの方が、関西弁で軽快に説明してくれました。

朱雀門

 唐使船を右に見ながら、次なる目的地、平成10年に復原された平城宮の正門・朱雀門(すざくもん)に向かいます。「平城宮には東西南北に3つずつ門がありまして、この朱雀門が一番大事な門です。この門から出入りできるのは、天皇と貴族、それから外国の使節だけでした」。門前の広場では、奈良時代、男女が恋の歌を詠み合う歌垣(うたがき)が行われたりしていたそうです。「ここは広っぱのように見えますが、朱雀大路(おおじ)という道です。幅が75mで長さが約4km近くありました。国際線の滑走路とだいたい同じ大きさですね」。

朱雀門から見える大極殿


 朱雀門をくぐると、真正面に第一次大極殿が見えました。その光景は、まるで奈良時代に来たかのよう。朱雀門から大極殿までは約800mあるそうです。

 び踏切を渡る行列に並びます。開始以来、来場者数は予想を大きく超えているということで、それだけ関心が集まっていることがうかがえました。
 「踏切も、地下道を作ったらええみたいなんですけど、地下に宝物が埋まっているからできないんですね」。踏切が上がるたびに列が少し進みますが、歩いている途中もイヤホンのお陰でガイドさんの説明が聞こえます。
 「ここに都があった74年の間に8代もの天皇がおられました。そのうち4代が女性です。最初の聖武天皇は男性ですが、裏で皇后が牛耳っていましたから、ほとんど女帝の時代だったということです。たいへん華やかな時代でしたが、政治的な紛争がしょっちゅう起こっていました」。


ボランティアガイドの方が
木簡を手に説明

 ち時間のたびに、ガイドさんがいろいろな説明をしてくれます。
 「だだっ広いこの都の跡が世界遺産になっているのは、地下に宝物がいっぱい埋まっているからなんです。例えばこの木簡(もっかん)です。これは荷札木簡といって、『備前の国から、くらげ他、贄(にえ)として2斗持ってきました』と書かれています。つまり税金として納められた物の記録です。荷札木簡を見ると、日本全国からどういう物がこの奈良の都に来ていたかが分かります。
 次の都に移った後、ここは1200年の間田んぼだったんですね。水の中ではこの木は腐らないので非常に良い状態で埋まっています。それが宝物なんです。当時の生活やいろいろな情報が、木簡によって分かるんですね。土地の買収が始まったのが約50年前で、現在、発掘調査が約30%までできております」。

 木簡の調査から予想される、当時の食事が再現された写真を見せてもらいました。高級貴族の食事は、海の幸や山の幸が贅沢に使われ、いくつもの器が並んだ御馳走です。庶民の食事は、玄米ご飯に青菜の汁と少しの塩だけ。「食べられるのはまだ良かったという時代ですね。全国からいろいろな物が集まりますけど、庶民には渡らない。たいへん身分格差の激しい時代でありました。
 地方から荷物を運ぶ時も、来る時は旅費をある程度くれますが、帰りは自分でしないといけなかったので、のたれ死にした人も多くいました。そういう暗い面がたくさんあるんですね。華やかな反面、こういうことがないがしろにされた時代でもあります」。


復原・公開された第一次大極殿

 式の場であった朝堂院の西側を通り、第一次大極殿の前までやってきました。たいへん混雑しているため、ここでガイドツアー最後の説明となりました。
 「今、見ていただいているのが大極殿です。正面の幅が約44m、側面の幅が約20m、高さは地面より27mあります。大極とは北極星のことで、星から名前をとっているんですね。『天子は南面する』といいまして、南を向いて支配するという考えから北に建っています。
 ここに都がつくられた理由は、見ていただいたら、西と東と北に山があって、南には何もない。三方を囲まれて南が見渡せる場所が、風水では一番良いんです。またここは、四禽(しきん)といって、青龍・白虎・朱雀・玄武という東西南北をつかさどる神々にに守られた土地とされていました。
 708年、当時の元明天皇が「平城遷都の詔(みことのり」を発しています。パンフレットに載っていますので、皆さん南側を向いていただいて、元明天皇になったつもりで唱和していただきたい」。


 ガイドさんの発声に続いて詔を読み上げ、ツアーが終了。時間の都合で残念ながら大極殿の中に入ることはできませんでしたが、ガイドを通して、当時の様子を想像しながら平城宮跡を見学することができました。

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