| ●体験コーナーではどのようなことをしているのですか? |
紙の原料をこしえたり、来館者に和紙づくりの手ほどきをしたり、手漉き和紙の道具や歴史を説明することもあります。ここでしているのは『溜め漉き』だから、誰でもあまり失敗もなく簡単に和紙づくりができるんですよ。紙漉きの仕事とは直接関係がないけれども、原料づくりなど、してきた事が役に立っている。
親子連れや、中学生のグループなどですが、女性が多いですね。お母さん方は子どもと一緒に(和紙づくりを)しますが、お父さんが子どもを連れてきていても、見ていることが多い。卒業証書の紙を作りにやって来る学校もありますよ。
ハワイから日系3世の人たちのグループが来た時に、紙を漉いた後に脱水する時に、(上から押さえるようにと言うつもりで)「ブッシュ、ブッシュ」と言うと、通訳の人が「ブッシュは大統領です。プッシュです」と言って大笑いになって…。珍しがったり、「古里のようだ」と言って懐かしがったりしていました。
依頼があれば、幼稚園や学校に出掛けることもあります。出掛けるとなると、道具を持って行かなければいけないし、水を扱うのでなかなか大変だが、子どもたちが喜んでくれる。小さな子どもたちとするのは楽しみです。「おじいちゃん、また来てね」なんて言われると、可愛くてね。
井原さんは、隔週で体験コーナーを担当しています。「ここに来ると、人と出会うので楽しいですね。身体を動かすことにもなるし、お昼からなので時間的にも無理がない」と井原さん。
はがきづくりの工程を見せてもらいました。原料が入った水(漉き槽)の中に漉き桁を入れて持ち上げると、紙の繊維がすでに、4枚のはがきの型に収まっています。余りにも手早いので驚きました。同コーナーに用意されている押し花を2,3枚あしらった後さらに色を添えると、真っ白なはがきが鮮やかに変身をします。脱水し乾燥すると出来上がりです。井原さんに、紙漉きをしていた頃のことを尋ねてみました。
●紙漉きをするようになったのはいつの頃からですか?
|
15歳の時で、戦後まもない時期に事業を始めた親父のもとで、親父や職人さんらに教えてもらいながら始めた。引き継いだのは結婚して3年目で、30歳の時かな。職人さんを数人抱え、自分でも手漉きをする一方、原料をこさえたり商売をしたり…。
家業に就く為にこの道に入ったので、嫌々始めたのではなかったから、早く一人前になりたかった。同時期に始めた人たちが4、5人いて、互いに競争心があった。職人さんが仕事を終えた後に、(漉き槽の中に紙の原料を)少し残しておいてくれるんですよ。後ろから手を取って教えてくれました。他の職種の職人は、親方からきつく怒られるようなことも聞きますが、怒られるということはあまりなかった。割合と楽に手に職が付いたのではないかな。
それでも売れるような紙漉きができるようになるには、時間が掛かりましたよ。紙漉き職人の腕には限度がない。ある程度に達すると、腕が落ちることはあっても、なかなかその上にいくことは難しかったですね。

冬は手が冷たかった。横に湯を沸かしておいて、10枚、20枚漉くごとに湯に手を付けて温めた。よくひび切れをしましたね。したたり落ちる水がつららになるんですよ。家の中の作業とはいえ、そのくらい冷たかった。『寒漉き』といって、寒い時期には良い紙ができる。(冬場は)のりの効きようがいいんです。
子育て最中の30代かな。子どもを大きくしないといけないと思って、紙漉きも経営も一生懸命にしました。子育てが終わった後は少し変わって、もっと良い紙を作りたいと思うようになりましたね。紙漉きは、同じ事をするだけだから、根気強さや粘り強さがないとできない。仕事だからできたんだと思います。
書道用半紙を作り続けて数十年。墨付きの良い半紙づくりを目指してきたそうです。若い頃は趣味を持つ間もなかったと言う井原さん。現在は「へぼ将棋なんですよ」と言いつつ、趣味の将棋も日々楽しみながら、生き生きと手漉き和紙づくりの指導にいそしんでいます。
|