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9月13日から出会い系サイトを規制する法律が施行された。パソコンや携帯電話の普及に伴い、出会い系サイトに関連した事件が後を絶たない。その大多数が、携帯電話を使用したものであるという。携帯電話は安価で、誰でも簡単に手に入るようになってしまった。コンビニででも買える時代である。18歳未満の子どもたちが被害者になるケースが増加し、昨年の被害者1517人の内、約84パーセントが児童(18歳未満)であったことを見ると、遅きに失した感は否めない。
子どもにどのような環境を与えていくかは、親や社会の責任であろう。今アメリカの家庭では、子どものインターネットの使用を制限する動きが出ているそうだ(ITニュースより)。暴力や犯罪や性に関するものなど、子どもにとって好ましくない情報へのアクセスを制限するソフトウエアの導入は、今や家庭や学校のパソコン、あるいは携帯電話には必要なことであろうと思う。
先日の新聞で、愛らしい赤ちゃんの写真を見た。純真無垢で素直な幼子の写真であった。こんなに可愛い赤ちゃんであったのに、三十数年後に小学校に押し入り、あのような残忍な事件を起こすことになるなど、誰が想像できるだろうか。写真の赤ちゃんとあの忌まわしい事件の犯人は同一人物であると判っていながら、私はその赤ちゃんが可愛そうに思えて仕方がなかった。
この赤ちゃんの成長過程で、どのような歴史が刻み込まれていったのか。もっと違う環境が与えられていたならば、もっと違う育ち方をしていたならば、もっと違う出会いがあったならば…と考えてしまう。どれか1つが違っているだけで、8人の幼い子どもらは、きっと命を落とさずに済んだに違いない。そして彼もまた、大罪を犯すことにはならなかっただろう。
最近、わが家の庭のドッグフードを失敬しに来るようになったのら猫が、時折子猫を1匹連れている。ある日、まだまだ日差しの強い夕刻に家に帰ると、猫が庭にとめてある長男の車の陰で長々と寝そべっている光景に出会した。
1匹にしてはちょっと変だと思って目を凝らすと、どうやら親子でいるようだ。遠目には1匹なのか2匹なのか見分けがつかないほど、猫の親子は全く同化してしまったかのごとくの様子なのだ。私が中に入ろうと門扉を開けると、その音に気が付いた親猫はさっと飛び起きて、じっと私の方を見据えて、いつでも逃げ出せる態勢を取った。
一方、目を覚ました子猫の方はきょとんとして『お座り』の姿勢でいる。見れば見るほど、そっくりな毛並みの親子だ。子猫は、まだあどけないしぐさと表情をしている。親猫ほどのすばしっこさもなければ、常に人を警戒していて、人間にはうかつに気を許さない、と言わんばかりの目つきもまだ備わってはいない。けれども親猫がどんな風に教えているのか、あるいは親猫のしている通りにしているのか、人間には決して近づこうとしない。今は愛くるしいこの子猫も、のら猫生活が長く続けば、親猫と同じように人を警戒し、同じ眼差しを人に向けるようになっていくのだろうと思いながら、しばらく猫の親子と対面していた。
姿形は、確実に親から子へと伝わっていく。『親の背を見て子は育つ』と言われる通り、親のする通りを子どもはしていく。人間の行動や判断を支配する『精神』とか『心』と言われるものは、環境によってどんどん変化をするものだ。良い環境にあっても良い心が育つのは難しいもので、ましてや好ましくない環境にあって良い心が育っていくとは考えにくい。子どもらにどのような環境を与えていくか、親も社会も真剣に考えなければならない。 |