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年の初めに、闘いの年になるだろうと感じた通り、今年は各所で様々な闘いが起こっている。戦争のように武器を使う戦いから、オリンピックへの出場を懸けての平和な闘いもある。また目線を変えて言うならば、数が増え続ける子どもを巻き込んだ事件も、当事者や保護者にとっては闘いである。教育現場でのセクハラ、子どもの連れ去り事件、家庭内での虐待、交通事故など、今の子どもたちとりまく環境は危険がいっぱいだ。社会教育・家庭教育への提言を続け、青少年育成に力を入れてきた私としても、胸が痛む。
アニメ映画『となりのトトロ』で主人公のサツキとメイの家が、平成17年に愛知県で開催される『2005年日本国際博覧会』(愛・地球博)で展示されることになったそうだ。井戸や手押しポンプやかまど、五右衛門風呂など昭和30年代の日本家屋が再現される。まだこのような家屋が使われている所もあるだろうが、50代以上の人には懐かしい。
『となりの―』のシーン…古い家、蚊帳の中で寝ること、雨降りには水溜まりができるいなか道、車掌さんのいるボンネットバス、電話を借りに行く風景等々、を見るたびに郷愁を誘われる。それらは、私が小学生時代を過ごした昭和30年代には、どこででも見られた光景だった。
私は、サツキやメイのいなか暮らしよりも、もっと自然溢れる山村に暮らした。水道や電気が引かれたのは、平野部よりもかなり遅かった。今の時代からすれば、不自由で不便で、何をするにも時間のかかる生活だったが、それを懐かしく感じるのは、楽しい思い出もいっぱい詰まっているからだと思う。
近所はみんな仲が良く、連帯感があった。電話のある家は、電話のない家に取り次ぎをしてあげるのが当然だったし、テレビを早く買った家は、子ども向け番組がある時には、テレビのない近所の子どもたちに見せてあげるのが当たり前だった。子どもたちも遠慮をしないで、よその家にテレビを見せてもらいに行った。
そして子どもたちは学年を越えて仲が良く、年上の子どもは小さい子どもの面倒見が良かった。学校が終わると真っ直ぐ家に帰り、宿題もそこそこに近くの広場に集まって、鬼ごっこや隠れんぼや石けりや缶けりをして、日が暮れるまでワイワイと戸外で遊んだものだった。ガキ大将の男の子もいれば、おとなしい女の子もその中にいた。
私たちの世代は、どのように育てられていたのだろうか。家の大小や、財産のあるなしや、勉強ができるできないも、よその家や子どもと比べることは少なかった。『よそはよそ、うちはうち』と考えるから、欲しいものがあってもしたいことがあっても、我慢をすることは苦にならなかった。たまに買ってもらう本やおもちゃは宝物で、いつまでも大事にした。社会の状況や環境が、自然と教育力となっていたのだ。
何でもすぐに手に入り、便利で物が溢れる生活をしていれば、辛抱や我慢をすることも少ないだろうし、感謝や感動も少ないだろう。心のコントロールを学習する機会も少ないだろう。そのような時代に育った子どもが、子育てをするようになった。欲求を抑えられない大人や辛抱や我慢ができない大人がいっぱいいる中で、子どもたちは毎日の生活を送っている。やがてその子どもたちが、社会に巣立ち、自分の子どもを育てていく。
現在の便利な生活を今さら捨てることはできないし、時代を逆戻りすることはなおできない。それでも、今からでも大人にできることがある。それは、他者に目を向け支え合うこと、おせっかいでも人に関わっていくこと、自分の弱い心と闘うこと、そして解った人から変わっていくことではないかと思う。
(教育情報新聞社代表)
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