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【自然花・れんげ草】最新号
   社主コラム (2004年5月)
家庭の教育力、
地域の教育力の
回復を
 

 私が代表をしているNPO法人では、青少年健全育成の活動に力を入れている。月に1度の体験学習や、毎日の学童保育、夏季や春季の長期の休み中の保育など、さまざまな場を設けている。

 私はそのような場では、将来につながる考え方を小さい頃から知っておくのも良いことだと思い、参加の子どもたちに話をすることにしている。先日の体験学習で私は、自然から生まれるものと人がつくり出すものの違いについて話をした。ある子どもの感想を聞いて、私は思わず苦笑をしてしまった。「私は、お金は人がつくるのではなく、機械がつくるのかと思いました」。今年小学校3年生になった女の子だ。そして「でも、機械を操縦するのは人だと思いました」と結んだ。かわいい子どもらしい発想だ。子どもは話を聞いて、ちゃんと自分で考えようとするものだ。

 『子どもは国の宝』の考え方は、昔も今も変わるものではない。次世代を育成していなければ、いくら良いものをつくりあげても、後に続かない。それは家庭も社会も、企業や組織も、また技術を要するものや芸能の分野でも同じで、後に続く者がいるから、継承されていく。自分の世代を頑張ってつくり上げると同時に、次代を担う人材の育成を図るのを怠ると、社会の力も家の力も衰退してしまう。子どもの健全育成は、大人の責任だとつくづく思う。

 私は、『団塊の世代』と言われる人たちよりもほんの少し後の世代だ。生まれ故郷の田舎では少人数の学校生活で、のんびりとしたものだったが、都会へ出れば人が溢れた競争社会だった。仕事をするにも勉強をするにも、ハングリー精神のある者がものにしていくことができた。そのような環境が自然と教育力となり、人から信頼されるために自分で工夫や努力をしたり、人との和を保つための心配りが身に付いていった。家庭でも子どもの数が多かったし、どの家も今よりは総じて貧しかったから、欲しい物もなかなか買ってもらえなかった。このような環境も教育力になっていた。

 少子化の現在では、競争も少なく過保護に育てられやすい。また地域のつながりが希薄となり、子育てに悩みを持っても、1人で抱え込んでしまう人が少なくない。つまり、家庭の教育力も地域・社会の教育力も、以前よりも確実に落ちてしまっているということだ。私たちよりも年長の人たちはよく、「子どもは放っていても、ひとりでに育つ」と言う。子どもの生きる力を信じることは別の話として、私はその言葉は、環境が持つ教育力が十分に機能していた頃には当てはまっていたけれども、今はそのままでは通用しなくなっていると思っている。

 子どもの生活が荒れていることで相談を受けても、10年前なら対処は早かったが、今はそうはいかない。当時は携帯電話もコンビニも今ほど普及していなかったし、大型スーパーも店を閉めるのは今より早かった。すべきこととすべきでないこと、我慢することや人を思うことなど、親や大人がしっかりと教えるべき時に教えておかなければならない。

 月初めに政府は『少子化社会対策大綱』の原案をまとめた。高齢者に重点が置かれた社会保障制度を見直し、次世代育成支援に予算を重点配分する考えだ。少子化対策は「すべてに優先されるべき時代の要請」と位置づけられている。子育て中の若い世代には大きな応援となるし、女性にとっては子どもを生み育てやすい環境づくりとなる。

 このような社会的システムが充実されると同時に、子どもにとって何が最善であるかを考えなければならない。子育ての環境づくりは行政だけの仕事ではなく、家庭はもとより、地域社会の理解と協力が必要とされる。


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