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【自然花・れんげ草】最新号
   社主コラム (2004年7月)
自然を賞(め)で
自然に学ぶ
 梅雨らしい天気が長続きしないまま、例年より早く梅雨が明けてしまった。それでも田んぼの稲はぐんぐんと成長し、ちょっと郊外に出れば緑のじゅうたんを敷き詰めたかのようだ。夏の明るい陽射しの中で、青々と元気よく真っ直ぐに伸びた稲を見るのは気持ちの良いものだ。

 今は真っ直ぐに上を向いて育っている稲も、穂が膨らむにつれて美しいカーブを描いて、穂先が下を向く。『実るほど頭を垂れる稲穂かな』―よく人が口にする言葉である。いつの時代から言われてきたのだろう。

 この言葉は、実れば実るほど低く頭を下げていく稲の様子を人にたとえて、生き方と言うか、心の在り方を示したものだ。昔の人は偉いと思う。自然のものを見て、それだけに終わるのではなく、教訓としたのだから。

 私も種々の機会を頂いて、いわゆる社会的地位のある方々とお会いすることがある。そのような人たちほど気さくで、周囲の人に気を遣わせることがないよう、かえって気を配られているのを感じる。その場の雰囲気を和らげるとか、人の心を持ち上げることをいとわない。正に、『実るほど―』の言葉通りなのである。

 この度、私はこのコラム欄で今まで述べてきたものを、まとめて単行本として出版した。それを記念してささやかなパーティーを開いてもらったのだが、忙しい方々が時間の都合をつけて出席して下さったのはたいへんありがたく、身に余る思いがした。戴く言葉も、ただただ恐縮するばかりだった。そのようなお心遣いが深く心にしみ入り、感謝に満ちた最良の一日となった。一流の人ほど、人への配慮が行き届く。心の在り方を学ばせて頂いた。

 社会で活躍している人、成功した人ほど、素直で謙虚な心を持ち続けている。誰からも何からでも学ぼうという意識が強い。そして威圧的でなく、弱い立場の人に優しい。

 私は、各所によく電話をかける。また、掛かってくることも多い。役所、企業、個人など相手は様々だ。電話は相手の顔が見えていないけれども、それだけに非常によく判るのだ。本当の丁寧さで対応してくれているか、義理で話をしているのか、立場にものを言わせて受け返答をしているのか等々、それらがよく判る。

 電話口でお辞儀をするのをあげつらうむきもあるが、頭を下げる気持ちは相手に伝わっていく。『慇懃無礼』という言葉もあるように、いくら丁寧な物言いをしていても、軽く見ていることが手に取るようにわかることもある。良いものも悪いものも、姿が見えていなくても気持ちは相手に伝わるものだ。

 役所関係は、以前に比べると柔らかで丁寧になった。名前が通っているとかそうでないとか、肩書きがあるとかないとかでそう大差はない。県民の目線、市民の目線に着実に下りてきていると感じている。今、私はまだ若く判断力もあって健康でいるから、そのように対応してもらえるのかもわからない。弱者となった時にさらに、そうであってほしいと願う。

 米は日本人の主食であるが、誰もが白い米飯を食べられるようになったのは、そう遠い昔のことではない。それでも古くから神事には、米と酒は欠かせないものだった。酒も米から造られる。それだけお米は神聖なものとして大事に扱われてきているのだ。また、秋になって収穫の時期を迎えると、田んぼの様は『黄金の波』とたとえられ、黄金に輝く稲穂は、豊かさと平安の象徴でもあった。

 ピンと真っ直ぐに上を向いた麦の穂は、それはそれで美しい。けれども、神聖であり豊かさの象徴である稲を見て、人の在り方を見出し戒めとしたところが素晴らしい。彼の時代の人々の、洞察力に脱帽だ。

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