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最近は結婚をするのに、仲人を立てる習慣がなくなりつつあるそうで、仲人を立てた人は4・6パーセントであったとリクルートから発表されていた。結納を行う人たちも激減し、豪華な水引細工の結納セットは、ひと頃の1割近くにまで売上が落ちていると聞いた。結婚式や披露宴の形式も型にはまらないものが好まれ、式場が用意したプランを自分たち流にアレンジする人たちが増えているそうだ。また会場も従来の結婚式場やホテルばかりでなく、多様化の傾向にあるという。
懐かしい昔の結婚式を思い出す。式場で行われるのはいたって希で、たいていは家で行っていたものだ。小さな男女の子どもたちが雄蝶雌蝶(おちょうめちょう)となり、紙の雌雄の蝶をつけた銚子で三三九度の杯の酌をする。私も一度はその役をしてみたいと子ども心に思っていたが、機会は巡ってこないままだった。
私の田舎では、私が結婚をした昭和50年代でもそうであった。親類縁者や集落の人たちが集まって、式の段取りから酒宴などもてなしの準備までしてくれた。そして祝い事は丸二日にも及んだ。仲人を頼んだ方は都会住まいであったので、旧態依然とした田舎の結婚式に、目を丸くした。
私たち夫婦は、今までに何組の仲人をしただろうか。結構な数になっているはずだ。今年も、3組の若いカップルの仲人をしたのだが、私はこの3組に、既成の結婚式をするのではなく、自分たちの発想を大事にしたもののにしてみてはどうかと提案し、自分たちをよく知っている人と相談をしながらプランを立てたり、準備にあたったりするのはどうかと薦めた。
すでに出来上がっているもの通りに行うよりも、新しい人生のスタートを切る場は、自分たちも参画して準備にあたり、自分たち自身の手でつくり上げていくことに大きな意義があると考えるからだ。できないものを望むよりも、できることを積み重ねていかなければならないのが毎日の生活だ。これから新しい家庭を築いていく上では、『自らの手で』の考え方は、何よりも大切になってくる。
私たちが仲人をしたのは、どのカップルもいわゆる『頼まれ仲人』に近い。けれども中には、何らかの形で私との縁がなかったら、出会うこともなかっただろうし、知り合うこともなかっただろうカップルもある。当人が私と知り合う以前に、私と親御さんとの縁が先にあってのそれぞれの結びつきなのである。
出会いがあって、縁となってつながり、そして愛が芽生えてさらに縁は深まる。縁は新たな縁を生み出し、人の輪を広げ、次代につながっていく。昔から、『縁は異なもの味なもの』と言われる通り、『縁』とは不思議なものだとつくづく思う。
私は、毎年、毎年、さまざまな人と出会う。数多くの人と出会いながら、それが縁となってつながっていく人は一握りである。圧倒的に多いのは、1回切りの出会いであるのだろうが、知己となるまで懇意になる出会いもあるから、人との出会いは面白い。
先日、ある人からちょっとした頼まれ事をした。通常ならば、なかなかの難問であった。彼との付き合いは、全くひょんなことから始まった。あの時の出会い、あの時の電話、あの時の便り…、その1つが欠けても彼との縁はこれほどまでにはならなかったはずだ。私は何とか彼の力になりたいと思い、昨年に知り合ってお付き合いをさせて頂いている方に相談をしてみた。すると、とんとん拍子に事が運び、あれよあれよという間に彼の願い通りに事が納まった。どちらの方との縁も、不思議としか言いようがない。縁とは摩訶不思議なものだと思う。
来年も良き縁に巡り合い、縁がつながる人間関係を築いていきたいと願う。
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