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特許権を侵害したとして、ソフトの製造と販売の中止と製品の廃棄を命じる判決が、徳島市に本社を置くソフト開発メーカーに言い渡されたニュースを知って、少しショックを覚えた。ソフトが使えなくなる訳でもない。そのメーカーを個人的に知っている訳でもないし、特許云々に深い興味がある訳でもない。それでも感じたショックは何なのだろうと後から考えてみると、何だかそのソフトと私との関わりにまで、けちを付けられたような気がしたからだろうと思う。同社が控訴をしたので、この先どのような展開になるのかは判らない。
平成元年の頃、当時はもっぱらワープロを使っていたが、勧められてパソコンを使うようになった。最初に使った日本語ワープロソフトが、先の判決を言い渡された会社・ジャストシステムの『一太郎』だった。面白い名前を付けたな、と思った。その後、今や世界を席巻しているメーカーのワープロソフトも使い始めたが、何年たっても慣れ親しむところにまではいかない。
先に使い始めたソフトの方が早く私の言うことを聞いてくれるので(使いこなしているので、操作が早いから早く機能しているだけなのだが)使う頻度が高く、後から使い始めたソフトは、よほど時間にゆとりのある時にしか使わないから、いつまでたっても私に馴れてくれないのだ。
そのような訳で、『一太郎』を好んで使って、いろいろなものを作ってきた。著書の何冊かはこのソフトで作成したし、平成2年から発行を始めた月刊誌もずっとそうだ。文書類の作成も、一太郎を使用することが多い。機能を駆使できている訳ではないが、私にとっては手勝手の良い使い慣れたソフトで、ずいぶんその利便性の恩恵にあずかってきた。このソフトがあったお陰で、今までいろいろなものを作り出し、いろいろなことをすることができた。私にとっては、大げさではあるが同朋とも言うべきツールであったのだ。
ワープロもパソコンもなかった時代、ペンで書いたものを書き損じてしまえば、書き直すしかなかった。「ここまでできているのに」と、残念に思ったり、悔しい思いをしたことが誰にでもあるだろう。時には、情けない思いをしたこともあるだろう。
開発された当初はたいへん高価だったワープロが、10年するかしないかの内に誰にでも手が届くようになって、私も早速使い始めた。便利さに目を見張った。画面上で、いくらでも書き直しができるし、字の上手下手も関係ない。パソコンのように多機能で何でもできる訳ではなかったが、画期的な道具の出現を喜んだ。
アイデアやソフトウェアのように形のないものも、機器類のように形のあるものも、誰かが考案したもので、便利で快適な生活が作り出される。誰かが見付け出した医薬品で、病気が治ったり命が救われたりする。誰かが創作した音楽や絵画で、心が和んだり、楽しい思いになる、等々。 人が考え出したものに、時として高い値打ちが付くことがある。発明も発見も発想も、自分の手許にだけある間は働きは小さいが、世の中に出て人に届き、人の役に立つものとなった時、直接的にあるいは間接的に、大きな働きを始める。多くの人の役に立つものであればあるほど、多くの人に愛されるものであればあるほど価値は広がる。そこに金銭が絡んでくるから、特許権や著作権が重要となってくる訳だ。
人間は素晴らしいと思う。新しいものを次々と際限なく生み出してきた。美しいものや感動するものを創り出してきた。それでも悪用する人がいれば、せっかくの考案や発想も、負の遺産となりかねない。人間が創作したものが、徒となるようなことだけは避けたいものだ。良いアイデアは良いものとして、素晴らしい発明は素晴らしいものとして、後世に遺していきたい。
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