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小学生の頃であったか、私はその言葉をあるテレビ番組で知った。毎週番組は、冒頭に司会者がその言葉を語る所から始まった。かなり以前のことで定かではないのだが、クイズ形式になったトークショーのようなもので、市井の人々の職業や特技などを言い当てるものだったように記憶している。『箱根山、籠に乗る人担ぐ人
そのまたわらじを作る人』と言って、世の中にはいろいろな職業を持った人がいて、いろいろなことで社会を支えている人たちがいる、というような内容のことを喋っていたように思う。
先日、ある青年に対して頑張ってもらいたいが故に厳しい言葉を発した。「なぜ、機械を磨かないのか」と。今、NPOの活動として発展させることができるのではないかと模索しているのだが、会員さんが所有する元工務店の倉庫の有効利用に向けて動き始めた。様々な工作機械が休眠中のまま並んでいる。活かして使わなければもったいない。倉庫の中を片づけた時に、機械が次の活動に向けて働きをするようにと願い、機械を磨くようにと言っておいた。1週間あまりたって見に行くと、それができていない。彼は他のことを一生懸命にしていたのだ。
青年期に、私は大阪の鉄工所に勤めていた。その時に、私が扱う機械は他の誰の機械よりもきれいであったと思う。私は自分の機械をよく磨いていた。それはある人からアドバイスをもらったからだ。18歳の頃のこと、1度私は機械で手を切ったことがある。その時はすでに、心の持ち方や用い方を勉強する会に所属していたので、そのことを先生に話してみた。先生は「機械で怪我をしたのではなく、心で怪我をしたのですよ。自分がお世話になる機械を徹底的に、他のどれよりも徹底的に磨いて、『きれいにしてるね』と言ってもらえるようにしなさい」と教えてもらった。私が機械を磨くようになったのはそれからだ。
当時、人に喜んでもらえる働きについても教えてもらった。機械を磨けば誰が喜ぶか。私自身も嬉しいし、機械も喜ぶだろう。続けている内に、会社の経営者が何よりも喜んでくれた。毎日毎日し続けることで、「いつもきれいにしている」と言ってくれて、信頼をしてもらうようになった。
倉庫に眠っていた機械たちは、前の持ち主が死に体にしてしまったものだ。せっかく縁があった倉庫なのだから、そこに光りを入れて、機械に魂を入れて、生き生きと働きをさせてやらなければならないと思っているのだ。縁ある物を使ってやらなければ、物は死んだままだ。
機械を磨くことは、使うことだけを目的にしているのではない。大工さんの仕事ぶりを見ているとよく解る。1日の仕事が終わった後は、かんなくずやのこくずをきれいに片づけて、道具もていねいに整える。職人さんたちが使う道具類は、1つ間違えば怪我をしてしまうものばかりだ。道具の手入れをするのは、「良い働きをしてくれよ」と心の中で語りかけながら、怪我をすることがないようにと願いながらであろう。機械や道具に命を吹き込む、魂を入れるために、磨いてもらいたかったのだ。
私に会った時にいくら丁寧に挨拶をしてもらったとしても、言ったことをしてくれていないようでは、そこに信頼関係は生まれては来ない。人に喜ばれる仕事をしていくとか、社会に貢献できる仕事をしていくとか、将来に向かって大きな仕事をしようと思うのなら、陰に隠れて人目に付かないような仕事こそ一生懸命にする心がなくてはならない。
籠を担ぐ人がいなければ籠は動かない。わらじを作る人がいなければ担ぐ人も仕事ができない。持ち場持ち場の仕事に専心することが、社会に貢献する働きとなる。陰の仕事に打ち込むことができるようであれば、自ずと信頼は得られるようになる。 |
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