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今年は、元旦早々雪に見舞われ、厳しい年明けであった。年末もこの寒波である。強い冬型の気圧配置が続き、県内でも雪の舞う日が続いている。ここ最近は温かな冬が当たり前で、12月にこれほどまでの寒さが続くことが珍しかっただけに、ひとしお寒さが身にしみる。
先日のテレビ番組で、多くの犠牲者が出た昭和の三陸津波の経験者が語り部となって、子どもらに経験談を伝える活動をしている様子が放映されていた。その婦人は、祖父から教えられた『命はてんでん』という言葉を守って、とにかく必死で津波から逃げたという。手作りの紙芝居には、瓦礫の中にたたずむ1人のおかっぱ頭の女の子が描かれていた。当時、まだ7、8歳であった。『命はてんでん』とは、一人ひとりが自分の命は自分で守るようにという意味だ。明治時代にも津波で大きな被害を受けた地ならではの、後世に伝える言葉であったのだろう。
近年、学校での惨劇が幾度かあったが、今年も年の瀬も押し迫った時期になって、子どもが犠牲になる事件が相次ぐ。また京都の事件のように、塾で、ましてやその塾の講師が、教え子の命を奪おうとは、誰もが想像し得ないことだった。このような事に遭遇した時には、まだ歳のいかない子どもでは手の打ちようがない。自然を相手に『命はてんでん』と子どもに教えなければならないのならともかく、言わば普段の生活の中での備えを、子どもに言って聞かさなければならない時代になってしまった。自然も厳しければ、子どもを取り巻く環境も厳しい。
11月に発覚した構造計算偽装事件は、各方面にかなりな影響を与えている。その建物に住んでいる人はもちろんのこと、近隣の住民、自治体、役所等々を巻き込み、大きな社会問題となっている。やっと手に入れたマイホームが、資金をつぎ込んだホテルが、安全を確保できない建物であったのだ。引っ越しせざるを得ない人たち。営業を停止せざるを得ない人たち。被害額は一体どのくらいになるだろう。この件は、一体どのようにして収拾がついていくのだろう。
この事件を耳にした時、私は『タワリング・インフェルノ』という30年ほど前のアメリカ映画を思いだした。超高層ビルを舞台にした、パニック映画の代表作だ。その超高層ビルには、設計責任者が指定していた物よりも安い配電盤ヒューズが使われていた。オーナーに問い正すが、オーナーは取り合わない。最上階では多くの招待客を招いて、落成式が行われようとしていた。宴もたけなわの頃、配電盤がショートした。近代技術の粋を集めたかのような超高層ビルは、瞬く間に大きな炎に包み込まれた。火災の原因は、建設費のコストを下げるために、勝手に電気機器の仕様を変更したからだ。人命よりも、コスト削減を選んだ結果であった。
構造計算偽装は、この映画と何ら変わることがない。コストを下げるという目先の利しか考えない人がいる。自分の利益だけしか考えない人がいる。自分さえ良ければとしか考えない人がいる。そのような人たちの集まりが、今回の事件を生み出した。ビルの自然倒壊など、よその国の出来事だと思っていたが、事が発覚しなければ、日本においても同じ事態になりかねなかった。
建築士であるなら、人の命に関わる部分で不正をするはずがないと思っている。仕事への誇りを持っていたら、そのようなことをするはずがないと思っている。けれどもそれは、その人の良識に問うしかない。
不正を承知でしていた人は別として、販売した人、斡旋した人、購入した人など、あの時にこうすればとか、この時にもっとこのようにしていればと、責任を感じている人もいるだろう。いかにチェックができるか。いかに管理ができるか。自分のことは自分で守らなければならない時代だ。 |
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