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愛媛ははだか麦の生産が日本一で、松山市の近郊には麦畑が広がっています。寒い冬の時期の麦畑は、一体何が生えているのかよくわからないような状態で、地面からやっと葉が出てきた頃です。霜柱のできるこの時期に、『麦踏み』をしておくのは、麦の生産農家にとっては大事な仕事です。
今では大きなローラーをトラクターで引いて麦踏みをしていますが、人力でしていた時代もありました。せっせと小刻みに歩を横に進めながら、葉の上を進んで行きます。せっかく出てきた葉を、踏みつける訳なのです。
麦踏みをしておくと、霜柱ができても土が盛り上がらずに、麦の根が痛まないのだそうです。踏むことで葉や根が痛むどころか、踏まれたことによって根は強くなり、茎もより多くに分かれて、収穫量を上げることができるといいます。麦は、寒い冬に鍛えてもらって、温かな春にぐんと成長し、初夏に実りを見ます。
古来からの伝統として、寒い時期に厳しいことに敢えて挑戦して心身を鍛える『寒修行』や『寒稽古』があります。冬の間の精進は、確かな成長を遂げていくためのものでなければなりません。
私くらいの年齢になりますと、人のことを思って注意をしようとする時や物事を進めていこうとする時に、火を吐くような言葉を出すことができるのは、本当は幸せなことだと思います。それができるなら相手の人は、火を吐く言葉をもらうに値する人間であるということです。相手に対して遠慮があったり、これだけ言えば潰れてしまうのではないかと心配をしなければならない相手では、そうはできません。目上・上司や師が、烈火のごとく、火を吐くかのごとくに言葉をぶつけてでも、指導をしたり注意をしてくれたり、物事への対処や対応を求めようとする時に、そこまでしてくれることをありがたく感じるか感じられないかで、人間の成長に差が出ます。
日本刀をつくる過程にはいろいろな段階がありますが、玉鋼を叩いて鍛錬したり、燃えさかる炎の中で焼いたり、それをまた冷たい水の中につけたりします。そのような幾通りもの過程を経ていくことで、切れ味鋭い刃物に仕上がっていきます。
『鍛錬』という言葉は、金属を打って鍛えることであるとともに、『自己鍛錬』と言うように、厳しい訓練や修業(修行)に励むことで、自己の精神や技術を磨き上げていくことにも使われます。また『焼きを入れる』という言葉は、現代ではもっぱら制裁を加えたり痛い目に遭わせることを指す時に使われますが、本来は刀の刃を焼いて水で冷やして鍛えて堅くしていくことであり、気持ちを引き締めさせることを指します。
なまくらな刃物では、それが畑で使うくわであろうと台所で使う包丁であろうと、役には立ちません。役に立つ刃物に仕上げるには、良質の鋼材と、熟練した刀鍛冶の鍛錬や焼き入れが不可欠であるように、役に立つ人材として成長していくにも、必要な時には厳しい叱責や叱咤など、『鍛錬』と『焼き入れ』に相当するものが必要だと思います。
私は若い頃、居眠りをしていて今も師と仰ぐ先生から、スリッパで頭を叩かれたことがありました。スリッパといっても、靴の代わりに部屋履きとしてはいている革製のものですから、かなり応えました。けれども周りの人たちは、「よかったね」と拍手までして喜んでくれるのです。「先生にそこまで信頼をしてもらえる人間になったのね」と言ってもらって、「あぁ、そういうことなんだ」と思い、少し嬉しくなって叱られたことに感謝の気持ちが湧いてきました。
踏まれて強い麦となるように、鍛錬され焼きを入れられて鋭い刀となるように、鍛えられて強くたくましい精神の持ち主となったあかつきには、きっと役立つ人材として成長しているはずです。 |