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つい先日のこと、携帯電話の充電器を店舗外壁のコンセントに無断でつないで電気を使ったとして、20歳の男子大学生が窃盗の疑いで約2時間取り調べられたというニュースが流れていました。使用時間は約30分で、盗んだ電気代は0・05円とのこと。男子大学生は、微罪処分となり送検されることはなかったそうです。
人のものと自分のものとの区別がつかないというのではなく、このくらいならいいだろうと安易に考えていたのでしょう。電気代はほんの僅かではありますが、他人のものを30分間も平然と使用しているとなると、傍若無人な振る舞いと言わざるを得ません。些細なことで警察に通報しなくてもいいものをと考える人もあるでしょう。しかしながら仮に一般の人がその行為に気が付いて注意をした時に、全ての人が素直に言うことを聞くとは限りません。注意をした方が嫌な言葉を浴びせられたり、注意をしたばかりに危ない目にさえ遭う世の中です。たとえ些細なことであっても、警察に通報されるのは仕方のないことと思います。それだけ社会の不安要素を誰もが感じているのです。
青少年育成の活動に携わり始めて30余年となります。学校に月に1度の週休2日制が導入されるのを契機に、週末を親子で有意義に過ごしてもらいたいと思って始めたのがジュニア練成会でした。あれから14年がたち、今や学校や役所をはじめ、多くの企業で完全週休2日制が取り入れられています。職種などによっては、親と子どもの休みが一致しない家庭もありますが、与えられた環境の中で、子どもが休みの日に何をさせるか、日常、どのように子どもに接するかを考えるのが親の役割であると思うのです。
親を殺す子どもがいれば子どもを殺す親がいて、高齢者を欺して大金を得る人がいれば子どもを食い物にする大人がいるというように、毎日起きる事件や事故は数知れずあります。自己中心的な考えの持ち主が起こす犯罪が余りにも多く、社会の教育力の低下、倫理観の欠如を感じます。いつの間にこのように殺伐とした世の中になってしまったのだろうか、ゆとりある教育を目指して週休2日制が導入されたはずなのに、と思うのです。
導入された当時、私は「心の勉強、心のふれあいを家庭の中で」と提言をしていました。たいていの人は「そうですね」と言いますが、ではどのようにすることが心のふれあいを持つことにつながるかを尋ねますと、どこかへ遊びに連れていこうかと考える人がけっこういました。けれども私は、何か特別なことをするのが親子のふれあいになるのでもなく、豊かな経験を積ませることになるのでもないと考えていました。
親子でキャッチボールをするのも良いし、小さな弟妹の面倒を見ることでも良いし、食事の時のちょっとした会話でいいのです。親子で過ごす時には、時間の長さが問題なのではなく、密度と言いますかその時の充実度合いが大切なのです。親とそのような時間を持って育った子どもは、他の人にも心を向けることができます。
今月のジュニア練成会では、いずれ起きるだろう震災の時に、ボランティアとして駆けつけることができるかどうかを子どもたちに聞いてみました。ある男子高校生が、「『社会に貢献するとか、慈悲の手、慈愛の手となる実践(私が代表をしているNPOのスローガンのようなもの)』と口にしているけれど、震災の時に果たして人のために働くことができるだろうか。けれども大災害をただテレビで見ているだけは、自分はしたくない。何をするかは解らないけれど、喋ったり見たりしているだけで何もしない、ということにはなりたくない」と述べていました。子どものこのような心の成長を見た時に、青少年育成の活動を続ける意義があると心から思います。
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