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『田舎に泊まろう』という番組に私の田舎が登場したということで、知人らが話題にしていました。1、2度田舎に案内したことがあるものですから、「あれは絶対に落合集落の景色であった」と言い切るのです。残念ながら私はその番組を見ていませんでしたし、放映日の幾日か前に帰省した折にも何ら話題になっていませんでした。NHKとローカル民放局1局しか映らない地域なので、番組自体があまりよく知られていないと思われるのです。
私の田舎は今は合併されて三好市になっていますが、それまでは東祖谷山村と呼ばれていました。その中でも私が生まれ育った所は、重要伝統的建造物群保存地区で、集落の建物の状況や周囲の環境が地域的特色を顕著に示している地区であるとして、昨年の暮れに国の選定を受けた場所なのです。しかもタレントさんが泊らせてもらった家は集落の一番上のお宅で、そこからの眺望が素晴らしいものですから、私も知人らを連れて行ったことがありました。「あそこから見た景色に間違いがない」と口々に言うところを見ると、よほど印象深い景色であったのでしょう。
『天空の村』と称される標高750メートルの村を訪れる人は誰もが、眼下に広がる景色や目の前に連なる山々の景色に感動します。日本三大秘境の1つに数えられ、平家落人伝説が残る地は、たまに訪れる人にとってはたいへん魅力的な地であろうと思います。
ところがその素晴らしい景色の中で日常的に生活するとなると、不便極まりないことが多々あります。たとえば私の実家を例にあげれば、今では道路がついているので車は家の近くまで行くことはできますが、家が道路に面している訳ではないので、道路から家まで上がったり下りたりするのが大変です。荷物を運ぶ時はなおさらで、急斜面の細い山道を幾度も行ったり来たりしなけれがなりません。それでも斜度30度に近い土地で畑を耕して野菜を作ったりしているお年寄りや、さらに急な赤道(集落内の行き来に使う道)を通って学校に通う子どもたちは、自ずと足腰が丈夫になります。私が歩くのが速いのは、子どもの頃にこの山道で鍛えられたからではないでしょうか。
またこの地域の特色として、南国四国の地ではありますが夏は涼しく過ごしやすいのですが、冬の寒さがかなり厳しいという環境があります。夏場でも夜に寝具は欠かせません。冬場は雪に閉ざされることも珍しくなく、帰省したものの道路が凍結して自宅に戻れなくなることもたまにあります。電気、水道、ガスなど文化的な生活も、かなり遅れて入ってきました。現在よりもさらに不便な生活であった幼い頃、その地でどのように暮らしていたのだろうと振り返って思います。もし私の性格の中に根気強く粘り強いものがあるとするならば、この時期に培ってもらったものだろうと思います。
私はしばしばこの欄で故郷について述べています。50数年生きてきて、その地で生活をしたのは15年ほどでしかないのですが、この間の環境が後の人生に大きく影響を与えていることを感じるからなのです。私は生まれた時に仮死状態であったそうです。ねぶかを吹いて空気を送り込んで蘇生させたと聞いています。交通も医療も不便極まりない地でそのような状態で生まれて、周囲は、この子どもは育つのかどうかと危ぶんだそうです。それで役場への届け出は3カ月遅れになったと、くり返しくり返し聞かされて大きくなりました。ある時期から私は、生まれながらにして余生を送っているのだと思うようになりました。
行動する時、自問自答することがあります。どうして私は今このことをしようとしているのかと問うた時、行き着く答は「世のため人のため」で、余生を送っているのだからそのような働きをしようと思う私がそこにいます。故郷の環境に感謝です。
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