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息子たちのユニットが歌う唱歌『ふるさと』を聞きました。すっかり今風なアレンジになっているのですが、この楽曲の歌詞の一語一語が素晴らしいので、言葉を噛みしめる思いで聞きました。ストリートパフォーマンスしている彼らは、この歌をクリスマスイブのライブで歌っていました。名曲は、世代を経ても歌い継がれていくものだと感じます。
小学生向けの唱歌として作られたこの歌は、私も学校で習いました。文語体の歌詞は小学生には難しく、その頃には正確に意味を理解していた訳ではありませんでした。それでもやさしく心に響くメロディーが十分に補って余りがあって、子どもの頃から頭の中に刷り込まれている歌の1つでした。
長じてふるさとを離れ都会で生活を始めると、『ふるさと』の歌詞が私自身の心と重なるようになりました。大阪へ出て、電車の窓から見た山が故郷を思い出させてくれたこと、親に心配をかけまいと弱音を吐かなかったこと、親に喜んでもらえる人間になりたいと願って努力してきたことなど、青年期に思った心を今も懐かしく思い出します。
『ふるさと』は作詞家が自分の故郷を読んだものと言われていますが、誰の故郷であっても当てはまるのだろうと思います。たとえ野山で兎を追った経験がなくても小川で鮒を釣った経験がなくても、子どもの頃を過ごした地は郷愁を誘うものであるのは同じです。自分の故郷でもないのに、ふと目にした山村の風景や海辺の景色や山河など自然の風景に妙に懐かしさを覚えるのは、故郷の原風景を誰もが心の中に持っているからだろうと思います。
2番の歌詞に『如何にいます父母、つつがなしや友がき』とあり、ます。人を思う心を表現した何と美しい言葉だろうと思うのです。3番の『志をはたして、いつの日にか帰らん』の言葉の中には、青年らしいはつらつさや強い意志を感じます。しかしながら昨今の社会を見ておりますと、果たしてどの世代までがこの歌詞に共感を覚えるだろうかと思います。
この年末年始、家族間で死に至らしめるような重大事件が次々と報道されていました。ここ数年、ことさらその数が増えているように思うのです。生命に対する尊厳もなければ、親や子に対する情愛のかけらも感じられない事件が相次ぐ社会は、これから先どうなっていくのだろうかと思います。また例に挙げるまでもなく東京で起きた2つの事件はさらに常軌を逸したもので、人間もここまできたものかと空恐ろしく感じます。
昨年来、かなり頻繁に報道されるようになった学校給食費の不払いにしても、どのような理屈でそれがまかり通るのかと疑問に思えてなりません。また一方では、給食費を払っているのだから子どもに「いただきます」と言わせる必要がないと考えている親がいることも話題になりました。人の命を奪ってしまう重大事件からこのような問題まで、気象の変化に戸惑ってしまうように、人間の気質の変化に対しても同じように感じている人が多いことと思います。
インターネットのニュースに『溶けゆく日本人』と題したコラムがあり、親のモラル破壊の現状や自己中心的な若者の姿が縷々述べられていました。礼儀正しく勤勉で、親切で人を思う心の強いのが日本人の長所で、『ふるさと』に歌われている情景であったと思うのです。そのような日本人像が溶けてなくなってしまうのでしょうか。
今年、我が家には孫が2人増えます。親には子どもを育てる責任があり、すべき精進がありますが、新しい命を取り巻くすべてが子どもの環境となるのですから、周りの者も同様なのです。社会の最小単位は家庭です。1つひとつの家庭が良くなれば社会も良くなることを信じて、今年も倫理普及に邁進いたします。
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