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私が若い頃に奉職をしていた団体では、年に1度、日本武道館で記念式典や大会を行うことがありました。私も表舞台に立つ役をさせてもらいたいと思っていた時期もあったのですが、そこを辞めるまで、結局裏方だけをさせてもらうことになりました。表舞台に出る役は言わば青年部の花形でしたから、憧れでもあった訳なのです。
願い出たのにその役に付けなかった時には少々のショックもありましたが、裏方の仕事をする内に、行事を仕切っているのは裏方であることを知って、重要な役をさせて頂いているのだと自覚をするようになりました。私が携わったのは、方々の部署の進行具合をチェックして、全体を調整しながら行事を進めていく担当でした。
最初に携わった大会の時に、太鼓の演奏を披露するグループの人たちが8人、金沢から来られたことがありました。打ち合わせをしたり、練習にも立ち会ったりしたのですが、その人たちは何とも小柄で、いたって普通の田舎のおじさんに見えて、あの大舞台で大丈夫なのだろうかと内心思っていました。ところが本番当日、衣装を着込んだその人たちが舞台に立って、太鼓に向かってバチを打ち振り出した瞬間、私は背筋に何かが走るほど圧倒される思いになりました。あちらからもこちらからも、いろいろと角度を変えて眺めてみました。私にしてみれば、あの時と同じ人たちだろうかと見まがうほどに感じたからなのです。本当に人に感動を与える演奏でした。
人というのは、役柄と言われるようなものを演じる時には、そうなるのかと思いました。表の舞台に立つ時はこうあるべきであり、裏にいる時にはこうあるべきであるというように、役者あるいは演奏家と言われる人たちは、表と裏、公の自分と私生活の自分とを使い分けて、メリハリを付けた中で生きているのだろうとその時に感じました。
初めての大会を経験して、よく頑張ったとも何とも言ってもらえることはなかったのですが、次の大会も、その次の大会も、同じ役割をさせて頂くことになりました。裏方の役割を通して、裏をいかに仕切るかで表が生きもするし曇りもすることを知りましたし、裏で行う仕事がいかに大事であるかということを教えてもらいました。そして日常生活においても、裏ですべきことをきちんと行うことが、表に出る自分を磨きあげていくことにつながるのだ、ということが判るようになりました。
「自分は裏も表もない人間だ」と言う人がいます。正直であることや何も下心が無い人間であることを言っているのだと思います。仮に文字通りに裏も表も無い人間であると言うならば、果たしてそれで良いのだろうかと思います。世の中には裏と表があり、自分自身にも裏と表があります。裏には裏ですべき役割があり、表には表で果たすべき役割があろうかと思います。
私生活をあまり公表しない俳優さんや歌い手がいます。スクリーンやステージで見る姿が表で、私生活が裏であるとするならば、裏も表も全てが明らかになってしまうと、何かしら存在を軽く感じさせます。俳優の高倉健さんはほとんど私生活を明らかにしないお一人だと思いますが、演じるものに凄い迫力を感じて、魅力ある俳優さんであると思います。裏の姿がなかなか見えないという神秘性が、役者としての活躍をより際立たせているのではないかと感じます。
表に立つ者も必要であれば、裏を支える者も必要です。表に出るのが必要な場合もあれば、裏に回らなければならない場合もあります。どちらの側に身を置こうとも、この事をさせれば右に出る者はいないというものを1つ身に付けることにおいて、人生模様は変わっていきます。そのようなことを知った青年期を、ふと思い出しました。
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