|
今の時代において『武者修行』と言いますと、技術や能力など実力を高めるために、他の門下を訪ねて自らの習得の場所としたり、ホームグラウンド以外の所へ出掛けて他者に挑戦したりすることを指します。武士の時代には、文字通り武芸の修行のために諸国を巡って歩いた訳です。剣術の修行であるならば、真剣で人に相対することもある訳で、修行も命がけであったのだと思います。どういう訳か今、私は、命を賭してまで敢えて修行の道を歩んだ人たちがいたことを思っています。
状況はかなり異なってはいますが、現代でも、人と真っ向から勝負をしなければならない時があります。私は特にここ最近、よく東京に出掛けているのですが、その時の心は、初めのうちは武者修行のつもりでいろいろな所に出向いていました。そこで対面する人たちに、私の意見や取り組んでいこうとしていることを理解してもらうのは、ある意味で非常に厳しい闘いであると思うのです。
道場破りの如く出向いて行って、そこで相手と対面した結果、勝利を得たのか得なかったのかは、その時にははっきりとは判らないのです。結果が判るのは次に同じ所を訪ねた時なのです。門前払いを受けるのか、それとも中に通してもらうことができるのかどうかで、先の対面の勝敗が判ります。このようなことを各所で繰り返し繰り返し行いながら、私の度量や熱意や力量を自分自身で測っていました。
出掛ける際には、心の中では大きな緊張感を感じながらも、この縁を活かせるかどうか、さらなる縁を自分に引き寄せることができるかどうかなど、そのようなことを思いながら出向いていきます。
1日1本の勝負ができれば良いだろうと思って出掛けています。それはただ単に人に会うということではなくして、常に真剣勝負を挑んでいるのです。この時限りと思って、1本勝ちを収める決意で出掛ける時もあれば、何度も何度も門を叩いて修行をさせてもらうつもりで出掛ける時もあります。訪ねて行った時に、この人の話ならば聞いてみようと思ってもらえる人間になるにも訓練がいるのです。人と会うにも信念が必要なのです。
東京では実に様々な人とお会いします。中には、世の中を動かすような位置にある方もいらっしゃる訳です。そのような方々と対面する時に、私は勉強をさせてもらうつもりでいます。闘いを挑んで修行をさせてもらっているのです。勉強不足であったり、全くの門外漢であったりして、挑んでも歯が立たないことも実に多いのですが、それでも私は自分の持てる力として、信念だけは相手に一歩も引けを取らないという強い意気込みで、一心に打ち込みをしています。
私の信念は、剣道に例えて言うなれば、『突き』の技のようなもので、今は突きだけで試合に臨み、1本を取りに行っている状態です。1つの力を研ぎ澄ませていけば、勝ちを得ることもあろうと思うのです。しかしながらそれをもってしてもかなわぬ相手は数多いる訳で、『面』も『胴』も『小手』も覚えなければと思っています。技術の向上も必要ですし、心の向上も必要であると思い、心を奮い立たせて、いろいろな場所へ出向いて行っています。
人に会って話をする機会を得ることだけではなくして、常に真剣勝負に臨む心でいます。1本勝ちができるかも判りませんし、何度も何度も門を叩かなければならないかも知れません。いずれにせよ、修行をさせてもらう心で出向きます。試合を終えて喜びを得ることの方が少なくとも、それでも次回にはいかに挑戦をしていこうかと心を練りながら、また門を叩こうと思っているのです。これが私の武者修行です。日々竹刀を振って打ち込みの練習をしながら、技術向上を目指しています。
|