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   『教育情報』代表コラム (2009年1月)
『天真爛漫』に生きる

 最近、しきりに『天真爛漫』ということを思います。子どもらしい無邪気さを指して言うところの天真爛漫もあれば、ありのまま、あるがままの意の天真爛漫もあります。私は10代のある時期に、人の生き方としての『天真爛漫』を教えてもらったことがあります。
 その当時、私は、東大阪の鉄工所に勤めていました。図面が読めるようになるために、産業学校というところに3年ほど通ったことがあります。その学校は、昼間働きながら夜間に通う所で、いろいろな人たちが来ていました。年齢も様々でしたから、行事や何かをしようとしても、なかなか意見がまとまりませんでした。私に向けられる言葉や態度に対して、時には腹に据えかねることもあり、人間と人間とのやり取りというものは、難しいものだと感じていました。
 会社においても旨く事が運ばないことがあり、嫌な思いになったり、悩んだりした時期でもありました。たとえば、仕上げてしまいたいと思って仕事をしていても、班長から別の何かをするようにと指示されると、そのようにせざるを得ない訳なのです。自分の仕事はさておいても、言われた通りにするしかありませんでした。
 ちょうどその頃に、どのような縁であったのか、空手を習いに行き始めました。沖縄の空手で、『糸東流』という名前でありました。道場に通って少しずつ形を覚えて、やがて師範代の人たちに稽古をつけてもらうようになりました。
 突きを入れると受けてくれるのですが、その度に手がしびれるほど痛いのです。そのような稽古を繰り返しておりましたところ、ある時、師範の先生に挨拶をしに行った折りに、先生が私に、突いてきても良いと言ってくれました。思い切って突きを入れると、私の突きは、先生に当たったような当たらないような、何かすっと抜けたような感じになって、私の身体は反転して違う所に立っていました。しかも手の痛さも全く感じませんでした。
 それから幾日か経った頃、練習に来ているお弟子さんたちみんなが、師範の先生に食事に連れて行ってもらうことになりました。その時に、先生が私に話をしてくれたのです。
 「空手というのは、対面して相手と攻撃をし合うというだけではない。流れに合わせて受けることもある。それが『天真爛漫』であるということだ。相手に突きを入れたのにそれを受けられて、手を痛がっている君を見て、こういう受け方もあるのだと、あの時に教えてあげたんだ。全然痛くなかっただろう。人間にとって大切なことは、天真爛漫に生きるということだ。そうすれば人とぶつかり合うこともない」と教えてくれました。
 私はその言葉を聞いて、私自身の生き方を見直すこととなりました。それまで職場や学校のあちらこちらで、人間関係においてカチンカチンと心の中で衝突を繰り返していたことを思いました。先生が教えてくれた「天真爛漫に生きる」とはどのようなことなのだろうかと真剣に考えてみました。
 大海に浮かぶ船の如く、風に吹かれて舞う木の葉の如く、ありのままに、あるがままに、流れに身を任せてみることをしてみようと思うようになりました。流れに沿うことを心掛けていますと、嫌なことに出会しても、物事が旨く運ばなくても、不足に思う心や腹立たしく思う心が影を潜めるようになっていきました。
 自然に任せる心で生きることが、人間の生き方の中で、非常に楽な生き方ではないのかなと思います。いつ没しようとも憂えることがないという、最終的には死をもそのような心で受けることが出来る修行こそが、幸せ感をもたらせると思っています。
 空手の先生から教えて頂いたことを真剣に考え、自分なりに咀嚼して、少しずつ生き方を変えていった10代の頃のことを久し振りに思い出しました。


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