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最近、漢字を扱った書籍の売れ行きが好調であると聞きます。テレビなどのクイズ番組でも、漢字の読み書きを問うたり意味を問うものがよく見られ、そのような時には、私もちょっと挑戦してみたりしています。知っているつもりであってもうろ覚えであったり、間違って覚えていたりしているのが現状です。また昨今は、パソコンや携帯電話で入力して簡単に漢字に変換できるものですから、なかなか漢字が書けなくなってきているとも感じています。
若い頃、いつも辞書を手離さなかった時期があります。小さくて、たいへん使いやすい辞書でした。手元に置いて、見慣れぬ漢字や言葉に遭遇すると、ページをめくっていたものです。師と仰ぐ先生の御著書を読んだり、私自身が述べるための原稿を書いたりするために、辞書を引かざるを得なかったのです。
私は、当時使っていた辞書をまだ大切に仕舞っています。先日ふと思い出して、取り出してみました。国語辞典も漢和辞典も、背表紙は破れてしまって製本テープのようなものを張っていますし、昔は金文字であった表紙の文字も、かすれて見えなくなってしまっています。ページの端はちょっとめくれ上がって、膨らんでいる状態です。けれども私は、その古ぼけてしまった辞書に、非常に愛着を持っているのです。
文字や言葉の意味をあまり知らなかったが為に辞書をすぐに引いていた訳ですが、今になって思えば、非常に得をしているように思います。と言いますのも、若い頃に辞書を引きながらも本を読んだり文章を作ったりしていた経験があるお陰様で、幾つになってもそのようなことをするのが億劫ではなく、いざ文章を作ろうとするといろいろなことが思い浮かぶのです。
辞書を見ておりますと、漢字1文字に関しても、長い文章で解釈しているものもありますし、1、2というように番号を振って、使い方において微妙に異なってくる意味の違いを説明しているものもあります。辞書を引いたり読んだりするのは、なかなか楽しいものなのです。
1つの文字や言葉の違いによって、その1文の解釈が異なったり、1つの文言が判断材料として扱われて、後々重要な意味を帯びてくることがあります。そのことが原因となって、物事の方向性が大きく変わってしまうことを思いますと、文字や言葉の持つ力の大きさを感じます。
立場のある人が、漢字の読み間違いをするだけでマスコミが大騒ぎをするくらい、文字や言葉には威力があります。先の米国大統領の就任演説においても、マスコミ各社がいっせいに、使われた文言について解説をしておりました。人の発言というものが、言葉一つで、評価をされています。どのような言葉を使っているのか、どのような意味で使っているのか、非常に注目されているのです。
私が代表を務めているNPO法人の中では、毎日毎日、文書作成に当たっている人が何人かいます。言葉がどれほど威力のあるものなのか、文字1つで表現がどれだけ違ってくるのかなどを体験するという意味では、非常に良い機会をもらっているのではないかと思っています。
そのような機会を得ているということは、まさに『継続は力なり』なのですから、どのような種類の文書を作ることになっても、それなりのものを作り上げる能力を身に付けていくということです。パソコンで文書作成をする訳ですが、漢字変換に安直に頼るのではなく、言葉の1つ1つの重みを感じながら、そのことに当たるべきでしょう。
漢字や言葉を知らないが故に、辞書を頼って、一生懸命に文字を追いかけた頃を思い出します。『知らない』ということはマイナスであるかのようですが、決してそうではありません。私は、知らないが故に得たものが大きかったことを今も感謝に思っています。
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