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   『教育情報』代表コラム (2009年6月)
原点の地に

  気持ちを打ち込む

 今の私を客観的に見てみますと、原点に戻ろうとしているのだなと感じます。どういう訳かと言いますと、生まれ育った村に何かをしたい、という気持ちが募っているからなのです。私が出発した原点と現在の状況とでは、大きく異なってきたが故に、そのように強く思っています。

 私の生まれ故郷(徳島県三好市東祖谷落合集落)には、昔はもっと人がいたのですが、今はかなり数が減っています。卒業した中学校は近隣の学校と統合されて久しく、また小学校も近々にそうなると聞いています。祖谷地方は、『天空の村』と表現されるほど、高い山の上のあちらこちらに集落が散在しているのが特徴です。過疎化と高齢化が同時に進んでいる地で、私たちにできることは何かないだろうかという気持ちになっています。
 歴史に詳しい訳ではないのですが、言い伝えによると、私の故郷は源平合戦に端を発する歴史ある土地柄で、戦に敗れて落ち延びてきた平家が住み着いたと言われています。800年もの昔、私の祖先は都から追われて、西へ西へと戦をしながらここへたどり着いたのだろうと考えます。
 実家の西側にある神社は、小さな構えながら立派な社叢に囲まれています。本来は今よりももっと高い山の上にあって、時代を経るごとに、徐々に下方に降りてきて今の場所に位置するようになったと言われています。遠い昔には、人々や物が、山の峰から峰へと行き来する生活はごく当たり前のことでした。
 高い山の上に家があるから不便に感じるのは、近代になって川沿いに道路が通って車の行き来が多くなったからで、人や物の流れがそちらに移ったからなのです。電気や水道やガスを使う生活が当たり前になってくると、山の中はそれらの恩恵に与るのが遅れますから、不便な暮らしであると周りが思うようになったという訳です。国道と言えども車が離合するのに苦労する場所も未だに多く、道路の拡張工事がいつもどこかで行われています。

 私が子どもの頃、旧東祖谷山村内には十数カ所の集落がありました。徐々に寂れて人が住まなくなった集落がある中で、実家がある集落では、まだそこで生活している人たちがいます。また数年前には国の重要伝統的建造物群保存地区となったことで、文化財として新たな価値が見出されることになりました。 
 祖先が残してくれたものがあるお陰様で、その地域の生き残りを図ることができます。滅ぼされそうになっては生き残ってきたと伝え聞く話があることを思うと、いつの時代にあっても、しっかりとした祖先の在り方を残しておかなければならないと感じます。

 この集落が、文化財を活かしながらこれからも長く残っていくために、NPOとして関わることができるものは何かを模索し、将来に繋ぐ役割の一端を担うことができればと考えるのです。そのようなことに思いを巡らしていますと、夢が膨らんで、非常に心地良い気持ちになります。この心境をさらに高めて、その気持ちを若い人たちに伝えていくことができたらと思います。 
 村を離れ、十代で大阪に出てそして上京し、Uターンして四国に戻り30年がたちます。故郷とは離れた地で生活をしておりますが、両親の居る田舎にいつも思いを馳せています。生まれ育った場所が衰退していくのは、私の原点が崩れていくことであり、私自身の存在が消されてしまいそうな気持ちになってしまうのです。都に上って学びを修め、田舎に戻って学びを活かして村づくりに励んだ昔の人々のように、そこの集落から出た者として、故郷を思う気持ちを打ち込んでいきたいと思っています。

 自然の中で淘汰されていくものを、食い止めようとするのは無謀なことなのかも知れません。1人の人間では到底できるものではないのですが、私の考えが呼び水となって、周りに影響していくものになれば良いと思います。


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