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6月21日には、かねてからの計画通り、重要伝統的建造物群保存地区(徳島県三好市東祖谷落合)の水田で、お田植え祭を無事行うことができました。女の子は早乙女姿に菅笠で、男の子は菅笠を被った姿で田植えを行いました。田植えの最中は薄曇りの天候で、その後に雨が降り始めるという、田植えには絶好の日和となりました。普段は静かな山間の集落に、楽しげな子どもらの声が大きく響いていました。
今年の稲作体験活動は、『子どもゆめ基金』からの助成を頂くことになり、ご挨拶に伺ったことがきっかけとなって、三好市の市長さんがご臨席下さってご挨拶を頂戴することになりました。地元の議員さんや世話人さん、地元小学校からの参加もあって、思いがけない展開の仕方に、当方としても驚いています。
その日は、村の鎮守様でのライブも行事予定の中に入っていて、息子がギターの弾き歌いをさせてもらいました。折しもその頃には小雨模様となり、息子は参道の真正面、つまり社殿の庇の下でギターを奏で、歌を歌った訳です。聴衆は、手水屋の庇の下に立ったり、木の下に立ったりしながら、大して濡れることもなくライブを楽しみました。
この鎮守様はお社は小さいながらも、かなり立派な社叢をお持ちです。鳥居の左右の杉の大木は、一体樹齢何百年なのだろうかというほどの立派なものです。また社殿左手には、雷が落ちて上部が吹き飛ばされてしまった大木がそのまま残っています。まるで大きな幹から、恐竜が顔を出しているかのような形をしています。時折、森の中に野鳥の声が響き渡り、鎮守の森の中での野外ライブは、息子にとっては、今までにはない雰囲気の中での演奏となりました。
息子の演奏を眺めながら、下の鳥居から社殿の前まで続くこの石段を、上り下りしたことを思い出していました。子どもの頃、お百度を踏む人がまだまだいました。私自身も何を祈願したのか、急角度のこの石段でお百度参りをした経験があります。この地方では、上がったり下りたりを1回済ませるごとに、竹ひごでつくった小さな旗を石段の左右に置くのが習慣で、色とりどりの旗が残されていたものでした。数えるほどの人口になった現在では、石段には何も置かれてはいませんでした。
この神社は実家から近く、小学生の頃や中学生の頃、私はこの社殿の庇の下にじっと座って、いろいろなことを考えたりしていました。同じ場所に息子が座っていると思うと不思議な感覚を覚え、荘厳ささえ感じました。歴史が重なると言うのでしょうか、40数年経って、昔と同じような状況が目の前に展開しています。鎮守の神様から見ても、不思議さを感じるのではないかとふと思いました。神社に向かう道中に母は手を合わせながら、「今日はお騒がせして済みません。いつも守って下さって、ありがとうございます」と言っていたそうです。
この神社には御輿が2台とだんじりが1台あり、祭礼の時には重い御輿をほんの数人で担いで、この石段を下りて集落内を巡っていました。祭礼の際にはお練りも繰り出して、中でも毛槍投げは大きな見せ場になっていました。毛槍は重くて長いものですから、投げるにも受けるにもなかなか思い通りにはならないようで、失敗することもよくありました。私の父と叔父は1組になって、それは上手に毛槍投げをしていたものです。過疎化が進み、それらの伝統を引き継ぐ人もなく、祭礼の諸行事も廃れつつあると聞きます。お田植え祭に来てくれていた地元の人が、「お祭りも何とかなれば良いのに」と言っていました。
田舎に帰るたびに、この地で過ごした子どもの頃のことが思い出され、1つひとつの思い出の中にふるさとを見る思いになります。大人も子どもも一緒になって、心のふるさとづくりをした1日となりました。
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