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昨日、目の前のタオルを眺めながら、しばらく心の中でそのタオルと問答をしておりました。「あなたはどこの出身なの?今治かな。ここに来て良かったと思う?」と聞いてみると、「今のところ、良かったと思っている」とタオルが返事をしました。「でも、大変になっている仲間もいるよ」と続けて言うのです。「どういうこと?」と尋ねると、「雑巾になったり、使い捨てにされたりしているんだ」と言っていました。
このように書きますと何だか変な話のようですが、タオルを眺めながら、物の使われ方にもいろいろあるものだと感じて、あれこれと考え事をしていたのです。
タオルは、顔や身体を拭くものとして工場で生産され出荷されるのですが、いざ使われる現場に着いてみると、本来の用途とは異なる使われ方をされることがあるのです。何枚か重ねられて折りたたまれて雑巾になるものもあれば、何かをぬぐっては一度切りで処分されてしまうものもあります。タオルに心があるとするならば、「ちょっと違うんだけれど…。そんなつもりでここに来たんじゃなかったのに」と思っているかも知れません。
例えば、理容院や美容院、あるいはホテルに行ったタオルは、本来の目的を果たすことができます。毎日毎日きれいに洗濯をしてもらって、棚に収められては次々と使ってもらうことができます。これらは厚手のしっかりとしたタオルです。けれども景品用などに作られる薄手のタオルだと、貰われて行った先で、ふきん代わりに使われたり雑巾にされてしまう確率が高いと思われます。
同じように作られたタオルであっても、使われる場所によってもその後が違ってきます。トイレの手拭き用に使われたタオルは、それが洗濯されていかに清潔であっても、次に顔を拭くタオルに使おうとする人はいないでしょう。顔を拭くタオルをトイレ用に回すことはあっても、その逆は無いのです。けれどもトイレの手拭き用という役目を果たすタオルも必要なのです。
また一度切りしか使われないものもあれば、身体を拭くのに使われて最初の役目を果たし、やがて雑巾になったり洗車の拭き取り用になって二度目の役目を果たし、最後には泥を拭き取ったりして役目を終えるものもあります。そのようなタオルは、人に十分に使ってもらって、物としての使命を果たしているのです。
衣類にしても、たくさん持っている人のもとに行くのが良いのかそうでないのかは考え方次第です。衣装持ちの人の所に行けば、せっかくのその服も着てもらえる機会は少なく、いつもタンスの中で眠っている状態ではないでしょうか。中には一度しか着てもらえない服もあれば、全く着てもらえないものもあるでしょう。反対に少ししか持っていない人の所に行けば、たびたび出番が回ってきて、着古されるまでとことん使ってもらえることになります。
世の中に生まれ出た物としては、どちらが幸せなのだろうと思います。タンスの中に仕舞われて出番のない服よりも、何度となく着てもらえる服は、服としての役割を十二分に果たすことができるのではないかと思います。物を大切にする心は、後者の方が大きいかも
知れません。物は、行った先の縁によって、ずいぶん待遇が異なってきます。
このように物の背景を見ておりますと、人にもいろいろな背景があることを思います。組織であるならば、表に出る役割の人もいれば、裏に居て守る役割をする人も必要で、自分の役目として嫌なことを敢えてしなければならない人も必要になってきます。人であっても物であっても、縁があった場所で、課せられた役割をしっかりと守り通すことができれば、この世に生まれ出た価値が出てきます。とことん自分の能力を出し切れば、人は人としての使命を果たすことになるのではないでしょうか。
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