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今年も、新たな出発の春を迎えています。進学・進級をした子ども、就職をした人、新たな地に転勤となった人等々、毎年の光景です。我が家でも、2人の孫が小学校へ入学しました。
私は入学式の当日まで、少し悩んでいました。孫たちが成長して小学校に上がることは私にとって喜びなのですが、入学式に出掛けて孫の様子を見届けたいと思ったり、祖父の私までが行くのは格好が悪いのではないかと感じたりして、少々複雑な思いでいた訳なのです。
4月に入ると、いち早く各地の大学の入学式の様子が、テレビニュースで報道されます。入学する学生の数よりも一緒に来る父母の数が多いために、会場の定員の都合があって、多くの大学が2部制で入学式を行うのだそうです。「学生1名につき、家族の入場は2名まで」と、入学式の案内に明記している大学もあります。
「大学の入学式に親が行くとは」と言われた時代から、親も子も共に喜び事に参画して、思いを共有する時代になっているのです。世の中が様変わりしてきたことを感じます。大学でこうなのですから、小学校では今や父母が揃って入学式に出掛けるのは、ほとんど当たり前になっていると聞きます。子どもにとっての大切な節目なのですから、親や家族はその場に立ち会いたいのです。私も、恥ずかしさを捨てて、行ってみようと思いました。
気になっているのは、子どもたちの環境がこれから変わることです。新たな出発をする人たちは、みなそうなのです。どのような友だちができるのか、どのような先生と出会うのか、どのような街で仕事をすることになるのか、どのような上司の下に配属されるのか。それら全てが縁であり、その人を取り巻く環境となっていきます。
縁には、良い縁と悪い縁があります。どのような縁につながるのかは、その時点で始まるのではなく、それ以前から始まっていると考えられます。例えば、子どもの教育はゼロ歳から始まっていると言われるのと同じように、縁というものも、生まれた時にすでに決まっているものがあります。良い親に巡り会ったか、良い環境であるのか、生まれた時点で決まっているものが多いのです。
このように考えてみますと、これから新たな場所に子どもが行こうとする時に、縁につながるレールの敷設は、その日を迎える幾日も前から始まっていることを、親は感じていなければなりません。10日前から始まっているのか、それとももっと以前から始まっているのかは人間の知る由ではありませんが、縁を運んでくるレールは着々と敷かれ続けています。良い縁に恵まれるかどうかの勝負は、物事のスタートより以前に、すでに始まっているのです。
誰も見ていないから悪さをする人と、見ている人がいなくても悪さをしない人とがいます。それは、見える世界だけで判断をしている人なのか、見えない世界で物事が動くことを知っている人なのかの違いです。どのような縁につながるのかは、見えない世界で決まります。自分は正しいと思って生活をしていても、何が起こるか判らない世の中です。悪しき縁につながることがないよう、日々、精進あるのみと思っています。
子どもの大事な節目に臨むに当たっては、親も緊張感を持った生活をしなければなりませんし、努力をしなければなりません。子どもから見て、安心感と安定感のある親、頑張っていると子どもが感じられる親。子どもの目に映る親の姿が、子どもに大きな影響を与えて行きます。親のそのような姿が、子どもを良き縁に導くと信じています。
孫たちが大きくなって、次々と学齢期に達していきます。私はその度に、「行こうか、行くまいか」と小さな悩みを持つのだろうと思います。それも楽しいことの1つだと思っています。
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