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2010年1月号 > 「坂の上の雲」のまち 松山
〜弐〜
秋山兄弟生誕地 (2010年1月号掲載)

 松山市歩行(かち)町。松山城下のその町に、小説「坂の上の雲」の主人公・秋山好古、眞之兄弟の生誕地があります。父、久敬は松山藩士徒(かち)という階級の下級武士。江戸末期からあった生家は、昭和20年の空襲により焼失してしまいました。現在の建物は、平成19年に生家跡に復元されたものです。復元にあたって、延べ1万人を超す個人、有力企業や松山市の学校関係諸団体からの寄付が寄せられました。


 訪れるとまず、中庭の好古騎馬像(昭和11年に道後公園内に建立された騎馬像を復元)、眞之胸像(海軍大学=現海上自衛隊幹部学校に安置された胸像の複製)が出迎えてくれます。お互いが向かい合って立っており、兄弟の絆の深さを表しているように感じました。入口そばの大きな桜は、春にはとても綺麗な花を咲かせます。

中庭に立つ兄・秋山好古の騎馬像(左)と弟・眞之の胸像(右)

▼復元された生家

生家内に展示された写真や手紙など

 秋山兄弟の生家は、文献によると「家は質素な“わら屋根”で僅かに数室があるにすぎぬ」「生家は低い平家で玄関の庭は暗くはあるが広く板戸があった」などの記述があるのみで、図面などは残っていなかったため、昭和初期に撮影された写真と秋山家ゆかりの子孫の方への聞き取り調査をもとに復元されました。間取りは四部屋と土間、台所の大変質素な家だったということです。

 復元生家内では、好古、眞之の年表や二人にまつわるビデオの上映、友人宛に出した手紙などの展示があり、二人の人柄や功績について詳しく知ることができます。座敷は、好古が北豫中学校の校長をしていた頃の写真を元に忠実に再現されており、好古書の「人事に憂楽有り山光に古今無し」(人生は辛いことも楽しいこともあるが、自然は今も昔も変わらない)の掛け軸がかけられています。また当時を知る人の証言によって、入口のすぐ近くには鎧が置かれており、一際目を引いていました。

 生家裏には二人の産湯にも使われた井戸があり、当時と同じ場所に今も水が湧き出ています。井戸の側には好古の好物だったイチジクや、ざくろ、金柑の木が植えられています。


▼好古の松山校長時代
 好古が退役後、当時の松山の実業家・井上要らの要請を受けて松山の北豫中学校の校長に就任した際には、生家を増改築し住んでいました。陸軍大将にまで昇りつめた人物が、松山のいわば田舎の中学校校長に就任するのは全く異例のこと。大阪の師範学校を卒業し、一時期教職に就いていた本人のたっての希望もあったようです。日本の騎馬隊を育て、陸軍教育総監になった時が最もうれしかったと伝えられているほど、生涯を通して教育に情熱を注いでいた好古。無遅刻無欠勤で馬に乗って登校する姿は、市民から畏敬のまなざしで見られていました。

 普段から質素倹約を信条としていた好古は、子どもたちに「艱難(かんなん)汝を玉にする」と説き、「人間は貧乏が良い。人間は苦労しないと出来上がらない。苦しみを楽しみとする心がけが大切である」と教えていたようです。 


 生誕地では毎年、好古の誕生日の1月7日には餅つき大会、眞之の誕生日である3月20日には茶会や琴演奏会などが開催され、両人を偲ぶ人たちで賑わいます。現在(財)常盤同郷会が運営管理しており、常時数名のボランティアガイドが建物や二人の生き様について詳しく説明してくれます。資料を見るだけでは分からないことを聞くことができます。
 秋山兄弟生誕地を訪れると、明治という時代に立身出世をめざし、この地から旅立っていった二人と同じ場所にいる、そしてそれはほんの150年前の出来事なんだ│と、何とも言えない不思議な気持ちになりました。

【秋山兄弟生家】

開館時間は午前10時から午後5時まで。
月曜休館(祝日の場合は翌火曜日)。
入場料は大人300円、高校生以下無料。

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〜壱〜 JR四国「特急しおかぜ」 ラッピング列車を運行 (2009年12月号掲載)

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