|
観光案内などには「三津の渡し」として掲載されていますが、三津浜の人は「洲崎の渡し」「三津の渡し」と言い、港山の人は「古深里(こぶかり)の渡し」「港山の渡し」と呼んでいます。三津の渡しの歴史は古く、その始まりは南北朝時代にまでさかのぼります。
伊予の豪族、河野氏が港山に城を築き1469年伊予守河野通春が城主であったとき、この渡しを利用したのが始まりと言われています。江戸時代には、松山城主が三津を水軍の拠点と定めたことや、洲崎の魚市場が盛んになったことにより、多くの商人などで賑わいをみせたようです。
その後も渡しとして利用され、大正の初めころまでは小舟を水竿で操り、その後手漕ぎとなり、昭和45年からはエンジン付きの渡船へと変わりました。500年余り、地元の住民に利用されている「渡し」を使って、港山地区を歩いてきました。
▼「渡し」に乗船
 |
| 渡し船に乗ってみる。前方に見えるのが港山。 |
三津浜の内港を「三津の渡し」の乗り口まで歩きます。内港はとても静かで、初夏の日差しと潮の香りがとても落ち着いた気持ちにさせてくれます。内港の出口に「三津の渡し」があります。初めて訪れたので少し戸惑いましたが、階段を何段か降りると、船長さんが気づいてくれて乗船を促してくれました。船はすぐに動き始め、対岸の港山へと向かいます。海面が間近で、手を伸ばすと触れそうな感覚です。わずか3分間ですが、ゆっくりと動く渡し舟に乗り、辺りを見回していると500年前の人たちと同じ風景を見ていることに感動しました。
▼港山を歩く
港山は造船で栄えた町です。いまでも造船所がいくつか並んでいます。港山に到着すると、出入りする船の目印となっていた常夜灯が立っています。
海沿いに歩いて行くと鳥居が見えてきました。湊三嶋大明神社です。祀られているのは、海の神様、大綿津見神(おおわだつみのかみ)、水の神様、瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)、など。海の安全の為に祭られ鎮座しています。鳥居をくぐると拝殿へと続く階段がありました。拝殿まで上がり、後ろを振り返ると、三津浜の内港から三津地域が一望できました。
湊三嶋大明神社の後ろには、河野家がかつて築いていた湊山城があります。現在は、石積み、井戸跡、三つの郭跡が残っているそうですが、現在は登城道が整備されていないため、登ることはできませんでした。
▼一茶ゆかりの地
いったん船着場へと戻り、伊予鉄港山駅の方へ歩いていると、小林一茶が松山来訪中に句会を開いたという「洗心庵」跡の碑が建っていました。1795年、道後温泉に20日間ほど滞在した一茶は、三津浜から港山の洗心庵に行く時に「渡し」を利用したとのことです。
| 《小林一茶が洗心庵の句会で詠んだ句》 |
・ 汲みて知るぬるみに昔なつかしや
・ にな蟹と成て女嫌れな
・ 山やく山火と成りて日の暮るる哉
・ 梅の月一枚残す雨戸哉 |
一茶の碑から、造船所を横目に見ながら細い道を歩いて5分ほどのところに、洗心庵があったとされる不動院があります。この不動院は200年前の姿を残しており、地元住民を見守ってきました。地元の人たちは親しみをこめて「お不動さん」と呼ぶそうです。
港山は、松山の海の玄関口三津浜に隣接しており、その昔は海の守りの役目を果たし、その後は漁師や商人が行き来をした町となり、近代には造船の町として栄えました。そのすべてを見てきたのが「三津の渡し」です。実際に港山を歩いてみて、500年もの長い間、地元の人たちと共にあった渡し船が、これからも末永く存続してもらいたいと思いました。
|