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しごと 〜現場の話を聞きました〜 (掲載:2009年9月)

 三津浜商店街の中にあるヨネヤ旗店。一歩店に入ると、奥から吹き抜ける涼しい風が感じられます。昭和27年に建てられた店は、大きな寸法のものが作れるようにと15間ほどもの奥行があります。神社ののぼりの仕上げに入っているご主人の仕事を見学しながら、合間にお話を聞かせてもらいました。


 〜ヨネヤさんの旗作りは、昔からほとんど製法が変わりません。文字や絵柄の型紙を作り、布地に乗せ、餅米を原料とするのりを色を付けたくない箇所に塗ります。のりが乾けば染色し、染料が乾けば水洗いをしてのりを落とし、裏庭で干して日光に当てると、鮮やかな色彩が浮かび上がります。
 創業から120年以上も続く老舗で豊さんは3代目。旧制中学を卒業後この職に就き、60年以上も旗を作り続けている職人さんです。

 この日は、義妹の小宮昭子さんがご主人の作業を手伝い、奥さんの勝子さんがミシンを踏んでのぼりの仕上げ縫いをしていました〜

●家業を継ぐと決めていたのですか?
 私は思いよらなんだけど(笑)終戦直後、仕事が全然なかった。職がないんじゃけん、旗屋の仕事もないわな。そやけどしばらくすると、この辺に進駐軍が来だして、この旗を珍しがってな。それでやっていけた。

●一人前になるまでには?
 10年はかかる。そやけどうちらの10年いうのは、ひと通りできるまでが10年、文字書くのと絵を描くのは、また違う10年。京都あたりなら、下絵描く人、のりを置く人、色をつける人、皆違う。それが、私らは一つの店で全部ができないかん。

 〜宣伝をすることはないものの、旗の腕前は口伝えで広まり、次から次へと注文が入りました。大漁旗は多い時で1年に1500枚。体を壊すほど休みなく働いた時もあったといいます。10年に一度の宮島渡海船の進水式に贈られる旗、坊っちゃん劇場ののぼりなどの他、甲子園出場校に毎年贈られる県の応援旗も手掛けています〜

 (優勝校が)決まるまでは他の仕事が手に付かんよな。今年のように雨がよう降ると、順々に詰まってくる。すぐに持っていけるように、決勝に出た2校の分は必ず作るんよ。型のない所が勝ったら、型から作らんといかん。毎年あれが済まんと落ち着かんのよ。

 〜お話を聞く間にも、ご主人は、染色や水洗いの手順に入るタイミングを見ては作業にかかります。無駄のない動きに、長年鍛えた勘のようなものが感じられます〜

●弟子入りしたいという人はありますか?
 ちょいちょいあるよ。若い人も来るけど、結局は続かん。3カ月くらいしたらだいたい中身が見えるんよ。自分で字も絵も書かないかんとなると、これは無理じゃと思って辞める人が多い。

大漁旗の受注は、漁協ごとに帳面を分けて、図案とともに記録してある

 〜旗の世界も機械化が進む中、型紙作りから全ての工程手作業で行っているのは、豊さんを含めて全国で10人ほど。紋の曲線なども自分の手で描くのです〜

 (紋の型紙を見ながら)この紋を入れるのも、最初に言うてきた大きさと変わったもんじゃけん、型を作り直して1枚はタダになった。それはしょうがないんよ。そんなもんよ。職人じゃけんな。普通は追加料金を取るんだろうけど、それが、そういうことにはならん。そういう所が、職人が職人たるゆえん。


●仕事をしていて、嬉しいことは?
 思った通りにできることは滅多にないけど、できたら嬉しいわな。そりゃもう、その時が一番嬉しい。
 子どもによう言よったんじゃけど、山登りでも、どこから登っても頂上は一つよな。どんな苦労しても、どっちから行ってもええんじゃけど、やっぱり頂上目指さないかんぞと。親父もそう言よった。子どもの時は、そんなことどうでもええわと思いよったけど、やっぱり、自分でやってみて初めて分かるのよ。


 廃業した他の旗屋の仕事も徐々に引き受けるようになり、取り引きのある神社は数え切れないほどだと言います。「やめさせてもらえんのよ」と笑う豊さん。健康には人一倍気を遣い、体の続く限りはと、今日も旗を作り続けています。


取材協力: 【ヨネヤ旗店】
        松山市住吉1丁目3−35   電話:089−951−0036

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