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〜中学時代まで徳島県の東祖谷で過ごし、大阪に出て大工の道に入ります〜
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●大工になろうと思ったきっかけは?
僕らの時は、職業いうたら、土方とか大工くらいやったからな。大工になろうと思って大阪に行ったけど、最初に入った所は土方の仕事ばかりだったから1年で辞めて、次に入った工務店で5年間修業した。お礼奉公2年と合わせて、7年は石にかじり付いてでもやろうという気持ちで入った。
大阪に出た年から定時制の高校に通っていて、仕事に行くトラックに自転車を積んで、仕事が終わったら自転車で40分かけて学校に行った。雨の日も、雪がチラチラ降る日も、自転車をこいで行ったもんよ。
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〜その後、知り合いの紹介を受けて、関西を中心にいろいろな現場で大工仕事に携わります〜
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●今までどのような仕事をしてこられたのですか?
7年の勤めが終わって、神戸の鵯越の方から話があって10年ほど勤めた所では、学校や官公庁などの建物をよくしたね。一番大きい仕事で、神戸弘陵高校の校舎棟を任されて、若い職人を連れて責任持ってした。そこの仕事が終わると、友達と2人で2年ほど仕事をしたけど、その時は泊まり込みで、結婚式場の大広間とかを何カ月かかけてしたね。
●心に残っている仕事は?
大きな日本家屋の仕事で、1本200万円の大黒柱に墨付けて、他に誰も刻んでくれる人がいなくて、最後に自分で刻んでね。あの頃は一番良かったかな。スリルみたいなものもあってね。木は、長いのは直せるけど、短いのは直せんからね。
それから、他の仕事で、建前の前の日に図板に書いて材料を確認しよったら、夜中の2時くらいに屋根の設計で材木が270(ミリ)短いのに気が付いて、朝の5時頃に連絡を入れて材木屋で仕入れて、刻んで現場に持って行ったこともあった。家を1軒任されたら必ず図板に書いて、ずっと抱いて寝よったんよ。離さへん。そんな緊張感もあったんよ。
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〜板にほぞを切る作業をしている所を見せてもらいました(右写真)。台の上には、何種類かのカンナやノミなどの道具が並べられています〜
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●道具を大事にされているんですね
忙しい時は片付ける間もないこともあるけど、小さなドライバーひとつでも無くなったら分かる。床を貼る時、和室を造る時、建具を入れる時、それぞれ全部道具が違う。道具は100やそこらは十分あるね。
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〜昔は墨を引くところから行っていた大工の仕事。プレカットなどの機械化が進み、本格的な大工の仕事は減っていると言います〜
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●藤本さんの技術が生かし切れるような仕事はなかなかないのでは?
ないよな、今は。でも、わしも自分なりには、「大工」というものの半分も行っていない。大工なんてのは奥が深い。まだ修業中やけど、死ぬまでに会得できるかっていうと無理だろう。そういう現場自体も少ない。
僕らの感覚では、一から板に書き付けて、それを見ながら墨付けして、刻んでっていうのが大工。墨も付けられんのは、大工とは言わへんと思う。ちょっと器用な人ならできる日用大工。今の若い子の中にも、昔ながらの職人の仕事を学びたいという人がいるけど、そういう仕事は少ないから可哀想かなと思うよ。
●大工の仕事で、大事なことは何ですか?
(木と木の合わさり方などが)付けるべき所は、何が何でもピチャッと付ける。隙かすべき所は隙かす。やるべきことはやる。自分に妥協したらあかん。ええ格好言よるけどね。難しい。上には上がおるからね。
大工の仕事について熱く語ってくれた藤本さん。それでも「語るより仕事が全て」という思いが言葉の端々に表れており、職人として積み重ねてきたものが垣間見えるお話でした。
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