お問い合わせ

トップページ > 一言一行 【 最新号 】【 過去の一覧 】
   ショートコラム (2007年10月)
近寄りがたい感覚

 取材で山中の某寺院を訪れた時、そのお寺が辺りの山の中に安置した88の石仏を巡る『八十八箇所詣り』をしたことがあります。実は、そうだと知っていて巡ったのではなく、散策路だと思って歩き始めたところ、次々と石仏に出会うものですから、途中でやっと気が付いたという訳です。気が付いてからは、石仏に出会うたびに、何番の何というお名前の仏さまであるのか確かめるようになりました。
 落ち葉が積もった山道は、狭い所あり、急な坂道あり、険しい崖ありで、なかなかスリリングなものでした。ちょうど真ん中くらいだったでしょうか、山路の右手の山肌がちょっと開けている場所に出ました。その奥に目をやると、滝が流れ落ちているのが見えました。滝壷まではゴツゴツとした岩が続いていましたが、行けなくもない状態に思えました。
 取材の時には好奇心旺盛に何でも見たり聞いたりしてくるのですが、この時ばかりは足が出ませんでした。余りにも荘厳で神秘的な雰囲気が感じられて、それ以上近づいてはいけないような気がしたのです。一種の怖さも感じて、手を合わせてその場を離れることにしました。この山中には、修行中の弘法大師が毎日身を清めたと伝わる滝があることを後から知りました。
 千年の時を経てもなお、青々と葉を繁らせている大樹に対しても、同じような感覚を覚えます。そこにあって手を伸ばせばいくらでも触ることが可能であるのに、そうさせない何かを感じるのです。また神社仏閣にある大樹は、境内の雰囲気とあいまって一段と身の引き締まるような荘厳さを感じます。畏敬の念とはこのような感覚であるのでしょう。人工のものからは、ほとんど感じることのない感覚です。(うさ) 


ご意見、ご感想はこちら。
▲ページのTOPへ

トップページ > 一言一行 【 最新号 】【 過去の一覧 】
管理者:rinkun1@basil.ocn.ne.jp (C)Copyright NPO法人倫理生活指導センター