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注意をされたり叱られたりして人が育つというものではなく、共に動きながら見て学ぶこと、つまり先を行く人の後ろ姿から学ぶことが、育っていくことになります。ですからいくら成長してもらいたいと願って何かを伝えたとしても、相手に学ぶ意思がない限り、教えることにもならなければ、育てることにもなりません。
私が若い頃に鞄持ちとして付いていた先生は、病気の後遺症で左手が少々不自由でした。先生に同行させて頂くようになって次第次第に、「どこへお出かけになるのだろう」「どのような用向きで行かれるのだろう」と物事の先読みをして、何が必要であるのかを考えて先生の鞄をお持ちするようになりました。そのことから学んだものは大きかったと思います。
私は人をお招きする時に、その人の嗜好に心を馳せ、最高のおもてなしをすることを心がけています。それは金銭をかけるということではなくして、その人が本当に喜ぶことは何なのかを考えているのです。たとえば、その人の知り合いが作っている物を取り寄せてお出ししたりすると、こちらの気配りを喜んで下さって、その場が心地良いものになってきます。そのためには、事前に情報を収集することが必要になりますが、お招きした大事な方が喜んで下されば、心を遣った甲斐があるというものです。このような事も、若い頃に先生に付いて動いたことにより、私自身が学んだものが大いに役に立っていると思います。
「後ろ姿で学ぶ」と言いますのは、その人のしていることを見て学ぶだけではありません。その人の役に立つことを考えること、何が役に立つことになるのかを掴み取る努力をすることで、『学び』が生まれてきます。
(T)
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